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名鉄資料館

津島線開通100周年記念展(平成26年 春季特別展)

開催期間 : 2014.3.23~2014.6.8

名古屋の市内線を運営していた名古屋電気鉄道は、最初の郡部線(郊外線)として一宮・犬山・津島3線を同時に計画しました。
一宮・犬山線は1912(大正元)年に開通しましたが、津島線は、用地買収の遅れと、川が多く橋梁材の製作に手間取り、少し遅れて1914(大正3)年1月23日に開通しました。
当時、尾西鉄道が弥富~津島~新一宮に汽車を走らせていて、津島の人々の唯一の交通機関でした。そこに名古屋電気鉄道の津島線が複線で開通し、柳橋~押切町~枇杷島橋~新津島間を20分ごとに電車が走り始めました。
それまで津島の人々に支えられてきた尾西鉄道は大打撃を受け、大正14(1925)年に名鉄へ合併されました。
津島線開通から今年でちょうど100周年を迎えました。
津島線100年の歴史を、写真、資料などでご覧ください。

津島線の歴史

2014(平成26年3月23日~6月8日に名鉄資料館で開催した「津島線開通100周年記念展」の中から展示写真の一部を御紹介いたします。

 

尾西鉄道・津島停車場(明治時代)
津島市立図書館所蔵

尾西鉄道は明治31(1898)年4月3日に、弥富~津島間で開業した。開業して間もない頃の津島駅。
尾西鉄道1号蒸気機関車(現在明治村で保存)が弥富に向けて出発する。
なお、名鉄の現存路線の中で、弥富~津島間は最初に開通した区間。
この写真は駅舎を南東側から見ている。
名古屋電気鉄道の新津島駅は、この写真の右側手前寄りに、大正3年開業した。

 

津島線線路竣工平面図
大正2(1913)年12月

この図面には、藤浪駅の位置に「諏訪停留所」と記載されており、駅名が開業直前に「諏訪」→「藤浪」に変更されたことが分かる。

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津島線竣工監査の復命書
大正3(1914)年1月21日
国立公文書館保管の鉄道省文書より

枇杷島橋を起点に、西枇杷島、新川橋、須ヶ口、甚目寺、七宝、木田、青塚、勝幡、藤浪、新津島の各駅が、津島線開通(大正3年1月23日)と同時に開業したことが分かる。
(復命書には、藤波と記載されているが、藤浪の誤記と思われる)

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津島線開通当時の時刻表(抜粋)
大正3(1914)年12月

柳橋~新津島間に、20分おきに電車が走っていた(早朝・深夜を除く)。
柳橋~新津島間の所要時間は52分

津島夏祭りの徹夜運転ダイヤ
大正9(1920)年7月29~30日

昔の天王祭は、今よりかなり遅い時間に行われ、新津島~柳橋間で徹夜運転が行われた。
始発列車が走る5時頃まで、1時間に3~5本の臨時列車が徹夜で運転された。

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藤浪駅を出発するナゴヤ行きの列車
514号が貨車を連結した混合列車
大正7(1918)年8月 津島市立図書館所蔵

名古屋電気鉄道が、郡部線(一宮・犬山・津島線)の開業に備えて製造した、車体長約10mの大型4輪単車。
郡部線用電車は168号形と呼ばれ、168~205号が製造された。大正7年に501~538号に改番された。後にデシ500形と呼ばれる郡部線最初の電車
当時の津島線の列車は、柳橋行きであったが、電車の側面の行先板には「ナゴヤ」と書いてあるのが読み取れる。

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幻の新津島駅
大正15(1926)年の年末・空撮
津島市立図書館所蔵

津島線のターミナル、新津島駅は大正3年に開業したが、昭和6年に津島駅へ統合され、17年あまりで姿を消した。
尾西鉄道からお客を奪い取った新津島駅であるが、その写真はほとんど残っていない幻の駅である。
大正15年10月に、津島神社は国幣小社に昇格。その年末に津島町初の空撮が行われた。撮影者は津島ランカ堂写真館高橋氏。その貴重な空撮写真の中に新津島駅が写っていた。東から西方向を見た写真。
手前が津島線で、左端が新津島駅。今市場通りに突き当たったところに駅前広場と駅舎があり、頭端式のホームが1本あるのが見える。その手前側は貨物ホームと思われる。
新津島駅と津島駅は、200mほど離れた位置にあったことがわかる。
尾西鉄道は、この前年に名鉄と合併し名鉄尾西線となったので、乗換客の便宜を図るため、津島駅の東側(写真手前)の津島線両側に乗換用のホームができ、名古屋方面のホームには待合室があることが分かる。
留置してある電車は車体長約10mのデシ500形と思われるので、ホーム長約20mである。
建設中の駅前通り(天王通り)は昭和5年に完成し、その正面に統合した津島駅が昭和6年完成した。

 

昭和10年頃の津島駅舎
津島市立図書館所蔵

昭和6(1931)年10月に新津島駅は、尾西線津島駅に統合された。
駅統合を機に、モダンな駅舎が建てられ津島のシンボルとなった。
(名鉄100年史には昭和7年統合と書いてあるが、津島町史、当時の新聞を調べた結果、昭和6年が正)

 

新川工場の654号
昭和16(1941)年1月
大谷正春氏撮影、清水武氏所蔵

昭和4年、岩倉車庫を移転するため須ヶ口駅近くに新川車庫が誕生した。後に新川工場と改称し、西部線の主力車両基地となった。
写真の650形は、昭和2年製で木造、二重屋根構造。中央にパンタグラフ、両端には市内線乗り入れ用のポールが取り付けられていた。

 

新川工場の352号と406号
昭和19年頃、荒井友光氏撮影

写真の350形や400形は、大正10年代から津島線等で活躍した名鉄初期のボギー車。
昭和16年8月に新名古屋開業により市内線乗り入れは廃止されたので、屋根両端のポールは撤去されていた。

 

新川変電所
昭和30年代

大正3年の津島線開通時に、須ヶ口駅構内の名古屋寄りに変電所が建設された。
この名古屋寄りに、新川車庫が昭和4年に建設された。
この写真が撮影された当時は、須ヶ口き電室となっていた。

 

伊勢湾台風後の津島線
昭和34(1959)年10月

昭和34年9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風で、名鉄も大きな被害を受けた。
津島付近から弥富まで線路が冠水し、津島駅まで電車が入れないので、津島駅の約500m北の旧津島口駅(昭和19年休止)付近に仮乗降場を作り、そこまで電車を走らせた。
なお、津島~弥富が開通したのは、約2ヶ月後の11月23日で、名鉄線最後の復旧区間だった。

 

伊勢湾台風後の津島駅
昭和34(1959)年10月

津島駅はまだ水に浸かっているが、津島以北はなんとか電車が走るようになった。

 

伊勢湾台風後の津島駅
昭和34(1959)年10月

水上を走る電車。
線路の上まで冠水しているが、津島以北は電車が走るようになった。

 

昭和36年の集中豪雨
甚目寺駅
昭和36(1961)年6月27日

昭和36年6月27日の集中豪雨で、津島線の線路が冠水し、電車は甚目寺で運転打ち切り、その先は運休になった。
乗客は線路を歩いて先に向かう。

 

昭和36年の集中豪雨
甚目寺~七宝
昭和36(1961)年6月27日

津島上街道の踏切を越したところから、線路が冠水。
昔は、この辺りに新居屋駅があったが、戦時中に休止となり、そのまま廃止された。

 

昭和30年代の津島駅構内・空撮
津島市立図書館所蔵

南側上空から見た津島駅構内
右のホームが1・2番線で名古屋方面行き、その隣の3番線が弥富方面、4番線が一宮方面行きで、その左に貨物ホームがあった。
名古屋方面は、津島で折り返す列車が多かったため、そのような配置になったと思われる。左下へ行く線路が弥富方面(単線)で、真下の線路は留置線。
昭和20年代後半には、左上に電車の車庫もあった。

 

津島駅留置線の850系
昭和40(1965)年1月 清水 武氏撮影

津島駅ホーム南端から南の留置線を見る。この留置線の終端付近に、昔は新津島駅があったと思われる。
850系は、昭和12年に名岐間の特急用として製造された流線型電車で、3本のヒゲがあることから「ナマズ」の愛称がついた。

 

津島駅の3600系
昭和40(1965)年7月 清水 武氏撮影

駅南の留置線から2番線ホームに入る3600系。3600系は、昭和16年に製造された特急用車両。当初3350系であったが、戦後3600系に改称された。
窓上隅にRがついた優雅なスタイルであったが、運転台を含め改造されてしまった。当時の優等車両の塗装のツートンカラー(赤クリームとチョコレート色)

 

青塚~木田の3400系
昭和40(1965)年7月 清水 武氏撮影

3400系は、昭和12年に神宮前~豊橋間の特急用として製造された流線型電車で、緑色濃淡のツートンカラーで登場し「イモムシ」の愛称がついた。
当初は2両組成であったが、戦後3両化(昭25)、4両化(昭27)された。

 

特急電車出発式・津島駅
昭和40(1965)年12月15日
清水 武氏撮影

昭和40年12月15日から津島線に特急電車が運転開始された。
昭和30年に登場した名鉄初の高性能車両5000系の特急神宮前行き。
テープカットするのは、当時の津島市長。

 

津島線停車場配線略図
昭和18年(上)、昭和32年(下)

甚目寺、木田、勝幡、津島駅で貨物扱いをしていたので側線があった。
津島駅には車庫もあった。

 

キハ8000系気動車の試運転
勝幡~藤浪のキハ8000系
昭和40(1965)年7月 清水 武氏撮影

名鉄は、昭和40年8月5日から、高山線直通の準急「たかやま」号を運転開始。国鉄乗入れ用のキハ8000系気動車を新造した。
営業投入前の試運転は、津島線で行われた。8000系の基地が新川工場だったので、本線に比べ列車本数の少ない津島線が試運転に適していた。

 

津島駅舎と駅前風景
昭和41(1966)年12月

地上時代の津島駅舎の最後の頃の写真。
津島駅付近の高架化工事が始まっており、昭和6年の駅統合で建築された駅舎も姿を消すことになった。

 

津島線の貨物列車・木田~七宝
昭和42~43(1967~68)年頃
清水 武氏撮影

津島線の貨物列車は、昭和30年代に廃止となったが、尾西線の森上~弥富間の貨物列車は昭和53年まで残った。
津島駅高架化工事で、津島線と尾西線一宮方向と線路が途切れた時期があった。その間は、森上(三興製紙専用線)の貨物を弥富へ輸送するのに、森上~新一宮(折返し)~西枇杷島(折返し)~津島~弥富のルートで貨物列車が走った。

 

津島駅高架化直後
昭和43(1968)年1月頃

津島駅付近の高架化工事は、昭和42年12月17日に、まず津島線と尾西線の弥富方向が高架化、翌年5月3日に、尾西線の一宮方も高架化された。
地上時代の津島駅ホームがそのまま残っており、従来の駅の東側に高架駅ができたことがよく分かる写真。
よく見ると地上ホームの左端に尾西線の電車が停まっている。

 

津島駅高架化直後
昭和43(1968)年5月

昭和43年5月3日に、尾西線の一宮方も高架化され、津島駅付近1.6kmの高架化工事が完成した。
津島駅の北を見た写真。右が津島線、左が尾西線

 

津島駅ビル・新駅舎完成直後
昭和43(1968)年9月

昭和43年9月3日に、津島駅ビルと新駅舎が完成した。
なお、パノラマカーが津島線に初登場したのは、昭和42年4月10日であった。

 

津島駅の定期券自動改札機
昭和44(1969)年
津島市立図書館所蔵

昭和44年6月1日に、名鉄では初めて津島駅で定期券自動改札機が使用開始された。
光学読み取り式の機械で、翌年11月に新岐阜駅へ導入されたが、その後の技術革新で磁気式自動改札が主流になり、光学読み取り式は結局2駅に導入されただけで終わり、昭和50年代に撤去された。

 

新型通勤車両6000系の出発式
昭和51(1976)年12月21日
津島駅

名鉄の高性能車両としては初の3扉通勤車両6000系が昭和51年に登場した。
その出発式は、早朝の津島駅で津島市長他が出席して行われた。
当時、名鉄電車の大半は2扉車だったので、高性能の3扉車は通勤輸送に威力を発揮した。

 

津島駅の白帯特急(全車指定席)
平成11(1999)年5月3日

昭和57(1982)年、有料特急の差別化を図るため、白帯を巻いたパノラマカーが登場した。その後、有料特急専用車1000系・1600系の登場により、平成11年5月10日のダイヤ改正で白帯車は特急運用を離脱した。
現役最後の白帯特急は津島線~西尾線で運行された。

 

藤浪~勝幡・8800系
平成15(2003)年8月

津島~勝幡の高架化工事は、平成14年7月13日に完成した。
8800系パノラマDXが、高架化された藤浪駅を通過する。この当時、津島線~西尾線に毎時1本の特急(全車指定席)が運転されていた。8800系または1600系の3両編成が使用された。

 

津島線開通100周年記念列車
平成26(2014)年1月26日

津島線開通100周年を記念して、平成26年1月26日に津島駅で出発式が行われた。
津島を出発する6000系の準急吉良吉田行き記念列車。

津島線の歴史

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