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名鉄資料館

高富線(長良北町~高富)

高富駅74号 1960(昭和35)年

長良北町~高富5.1kmの高富線は、1913(大正2)年、長良軽便鉄道により開業し、1960(昭和35)年4月22日に廃止となった。
終点の高富駅の場所は岐阜市の北端にあり、すぐ向こう側が高富町(現・山県市)の中心部だった。

高富駅74号 1960(昭和35)年

この74号は元・瀬戸電気鉄道の電車。
高富線は、通常22分おき、ラッシュ時12分おきに走り、岐阜市内線へ直通運転していた。

高富駅前風景 1960(昭35).3.5

高富駅には立派な駅舎があった。
駅前に荷車が止まっているので、高富線でも荷物扱いをしていたことが分かる。

高富~粟野 営業最終日 1960(昭35).4.21

高富近くの線路脇には、翌日から電車に替わって営業するバスが集結していた。

三田洞駅での離合 1957(昭和32)年

終点高富の二つ手前の駅。
通常はこの駅で交換した。

戸羽川付近 1959(昭34).2

鳥羽川の鉄橋を渡る電車1号。高富線のほぼ中間地点。

バス化直前の高富線 1960(昭和35)年

2号が走る線路脇にバス道路を建設中。バス化後は、名鉄バス専用道として使われたたが、しばらくして一般道となった。

高見駅 1960(昭35).2.5

高富線・長良北町の次の駅。長良北町方向から見る。
高富線は単線で専用敷の鉄道線だったが、市内の路面電車が直通するため低床ホームだった。

長良北町駅 1960(昭35).3.5

ここから向こうが高富線、手前が岐阜市内線
高富線は単線で、直通運転する市内線に急カーブがあるため、小型の単車しか入れずに輸送力が不足していた。
乗客増に対応するため、昭和35年にバス化された。

長良北町駅舎 1960(昭35)年頃

かつては長良軽便鉄道の起点だったので、立派な駅舎があった。
看板に、「新岐阜・岐阜駅前方面3分毎に運転」と書いてあり、当時の岐阜市内線の盛況ぶりがうかがえる。


鏡島線(千手堂~西鏡島)

千手堂駅・大正時代末

鏡島線は、1924(大正13)年、美濃電軌により開業した。鏡島弘法参詣客輸送を目的とし、開業1年後に、市内線が千手堂まで延伸、市内線と直通運転が行われた。
戦時中に一部区間が休止、戦後復活したが、1964(昭和39)年10月4日に廃止された。

森屋駅 昭和30年代

鏡島線は鉄道線だったが、千手堂~森屋は併用軌道になった。

森屋駅 営業最終日 1964(昭和39).10.3

鏡島線は単線だったので、森屋で通票交換。
500形は、美濃電軌初のボギー車で大正10年に製造された。

弘法口駅・571号 昭和20年代後半

鏡島弘法(乙津寺)の最寄り駅。
570形は昭和25年に製造され、昭和29年まで集電装置がトロリーポール式だった

西鏡島駅・543号 1958(昭和33)年頃

長良川の堤防下にあった終着駅。
西鏡島駅は昭和29年に合渡橋駅として開業し、32年に西鏡島駅へ改称、昭和39年10月に廃止された。
540形は、元三重交通神都線(伊勢の外宮-内宮-二見浦)の電車で、1949(昭和24)年に岐阜へ来た。


揖斐線(忠節~本揖斐)

岐北軽便鉄道北方駅 1915(大正4)年頃

岐北軽便鉄道は、大正3年に忠節~北方(後の美濃北方)で開業した。美濃電軌に合併後北方線と呼ばれ、黒野、本揖斐まで延長。本揖斐まで延長して揖斐線と改称。
写真の4号は、岐北軽便開業用に製造され、名鉄合併後は27号となり鏡島線・起線・岐阜市内線で活躍

忠節駅 昭和30年代

1953(昭和28).7.1に、忠節駅を忠節橋の下から移転し、揖斐線と市内線の連絡が出来る駅にした。左の低床ホームが岐阜市内線用で、揖斐線と市内線の接続が良くなった。
揖斐線ホームに元各務原鉄道の450形、右奥に元尾西鉄道の160形。

忠節駅 駅ビル開業 1972(昭和47)年

上の写真から10年以上経過した忠節駅。
駅ビルが開業し、電車も少し新しくなった。
写真のク2180形は、戦時中の1943(昭和18)年に名鉄東部線用に製造された制御車。

伊自良川橋梁(旦ノ島~尻毛)の510形3連
2000(平成12).10.1

揖斐・谷汲線の人気者・モ510形の三重連!
この日特別列車で運転された。

藪川→根尾川橋梁(政田~下方)
2005(平成17).3.27

根尾川を、大野町内では藪川と呼んでいたが、現在は根尾川に統一された

黒野駅舎 1970(昭和45)年

大正15年に北方~黒野が開通、同時に谷汲鉄道・黒野~谷汲も開通、昭和3年に本揖斐まで延長した。
黒野駅舎の2階は谷汲鉄道本社だった。
この建物とホームは保存され、「黒野駅レールパーク」と名付けられた。

黒野駅1967(昭和42).12.17

510・520形を使って、新岐阜~本揖斐の直通急行運転開始。
揖斐線が最も輝いた時代だった。

雪の夜の黒野駅
1998(平成10)年1月 寺沢秀樹氏撮影

黒野から分岐する谷汲線は、名鉄で一番雪が積もる所だった。

770形の登場 黒野駅 1987(昭和62)年

揖斐・谷汲線にまだ夢があった時代。揖斐線初の冷房車で連接車の770形が登場。
電圧降下の関係で黒野から先の本揖斐・谷汲へ入れず、その使命は隣にいる750形に任せた。

揖斐線清水駅の桜と510形
1998(平成10)年4月 寺沢秀樹氏撮影

桜の名所・清水(きよみず)駅。良い感じの駅だった。
瀬戸線に同名の駅があり、そちらは清水(しみず)駅

本揖斐駅舎 1958(昭和33).8

昭和3年の開通時からある立派な駅舎。養老鉄道の揖斐駅が先に出来たので、揖斐の町に近い当駅は本揖斐と名付けられた。

本揖斐駅 1997(平成9).4.13

ホームの上全体に屋根がある駅だった。

本揖斐駅の最終列車 2001(平成13).9.30
鵜飼功一氏撮影

揖斐線・黒野~本揖斐が2001(平成13).10.1に廃止された。残された忠節~黒野も2005(平成17).4.1に廃止された。


谷汲線(黒野~谷汲)

開業当時の谷汲鉄道・谷汲駅と、デロ1形5号
1926(大正15)年

開業間もない頃の谷汲駅。

谷汲線豊年号 昭和50年代

毎年2月18日の谷汲豊年祈願祭には、新岐阜から豊年号が運転された。

北野畑駅で交換する700形 1998(平成10).4.5

桜の咲く北野畑で交換する700形のお別れ運転。
700形は750形と共に名鉄の一時代を築いた電車。

更地駅の桜と750形 1998(平成10).4.5

谷汲線更地駅も、揖斐線清水駅と同様、桜の名所だった。

谷汲駅舎 1970(昭和45).11

西国三十三所巡り、結びの33番札所で知られた谷汲山華厳寺参拝客のため、大正15年の開業時に作られた駅。
堂々とした駅舎だったが、1996(平成8)年に建て替えられた。その駅舎は谷汲線廃止後も保存。

谷汲駅の最終列車 2001(平成13).9.30
鵜飼功一氏撮影

谷汲線は2001(平成13).10.1に皆に見送られて廃止された。

おかえりなさい赤い電車 2002(平成14).7.7

廃止の1年後に755号が谷汲駅に保存された。
現在は、755号の右横に514号も保存されている。

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