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名鉄資料館

合併した会社から来た電車

美濃電気軌道・新岐阜駅前の509号(後の520形)

美濃電軌は1911(明治44)年に岐阜市内線と美濃町線が開業、1914(大正3)年には笠松線(現・名古屋本線の一部)が開通した。
写真は笠松線の起点・新岐阜駅に停車中の電車で1923(大正12)年に登場した509号(後の520形)。この当時の新岐阜駅は国鉄(鉄道省)岐阜駅のすぐ横にあった。美濃電軌は1930(昭和5)年に名鉄と合併した。合併により名鉄は名岐鉄道と名称変更。

美濃電気軌道1号→名鉄岐阜工場(長住町)

長住町にあった初代岐阜工場のトラバーサの上に乗った岐阜市内線1号。
美濃電軌の開業時の1911(明治44)年に製造され、名鉄に合併後も、改造を経て1965(昭和40)年頃まで岐阜市内線で活躍した。

美濃電気軌道510形→美濃町線北一色駅

1926(大正15)年に製造されたセミボ510形。
当初は鉄道線の笠松線で使用された後、美濃町線で活躍、揖斐線-岐阜市内線直通列車用に改造された。
写真は、直通列車用に改造(1967/昭42頃)直後の試運転と思われる。
モ510形は、2005(平成17)年の岐阜600V線区全廃まで活躍し「丸窓電車」として人気を集めた。

岐北軽便鉄道の電車→美濃電気軌道と合併

岐北軽便鉄道は美濃電気軌道の系列会社で、1914(大正3)年に忠節~北方(後の名鉄揖斐線)を電車6両で開業した。
岐北軽便鉄道の社紋入り4号。2軸車としては車体長が長く9.6m、軸距2.3mなのでオーバーハングが大きい。岐北軽便は、美濃電軌に合併された後、名鉄と合併。

岐北軽便鉄道→起線起駅の25号

旧・岐北軽便鉄道の電車は、1941(昭和16)年から起線で活躍した。
起線は、一宮~起を結んでいた軌道線で、1924(大正13)に蘇東線として開通し、その後、起線に路線名を変更した。1953(昭和28)年に運行を休止し、翌年に廃止された。
名鉄としては初のバス化による廃止で、起線は単線で輸送力が不足し、輸送力増強のためにバス化を選択した。

谷汲鉄道→揖斐・谷汲線黒野駅

谷汲鉄道は美濃電気軌道の系列会社で1926(大正15)年に開業。1944(昭和19)年に名鉄と合併し、名鉄谷汲線となる。
谷汲鉄道開業翌年(1927/昭和2年)の谷汲山ご開帳に備えて増備されたデロ7形(6両)
名鉄合併後モ130形となる。

谷汲鉄道→豊川市内線(国府)

谷汲鉄道開業時(1926/大正15年)に製造したデロ1形電車(6両)で、名鉄合併後モ100形となった。1950(昭和25)年に車体改造し豊川市内線に転属、昭和28年末まで使用された。
車体側面の行先板が、国府-市役所前になっている。
豊川市内線は諏訪町近くにあった海軍工廠への工員輸送のため戦時中の昭和20年に国府~市役所前(現・諏訪町)が開通。昭和29年に新豊川(現・豊川稲荷)まで延伸し、豊川線に改称した。

美濃電軌→連接車モ401号に改造

美濃電気軌道は、谷汲鉄道開業に合わせて北方~黒野を開通させ、谷汲鉄道デロ1形と似た形状のセミシ64~66を1926(大正15)年に製造した。
後にモ110形と改称され、110・111号の2両は1951(昭和26)年に連接車へ改造、モ400形401号となった。
揖斐・谷汲線で1973(昭和48)年まで活躍した。

各務原鉄道→揖斐線忠節453号

各務原鉄道は、美濃電気軌道の系列会社で、1926(大正15)年に開業した。1935(昭和10)年に名鉄と合併した。現在の各務原線。
開業時に製造したK1-BE形電車(8両)。
昭和16年の形式称号改訂によりモ450形となる。
右後方には、旧尾西鉄道の160形も見える。

尾西鉄道100形103号

尾西鉄道は1898(明治31)年に開業し、現存の名鉄路線では最古の路線。1922(大正11)年、尾西鉄道を電化するときに製造した尾西鉄道初の電車がデホ100形。
1925(大正14)年の名鉄合併後も、モ100形として残ったが、101~103号は戦後に中小私鉄へ譲渡された。104~108号は改番でモ160形となり1964(昭和39)年に揖斐線で廃車された。

尾西鉄道200形→瀬戸線250形

1923(大正12)年の尾西鉄道全線電化用にデホ200形が7両製造された。デホ201・202号は合併後の1933(昭和8)年に柳橋~下呂の直通運転用に正面貫通扉取付等の改造をされ250形となった。
戦後は600V線区を転々とし、最後は揖斐線で1966(昭和41)年に全車廃車となった。

東美鉄道100形→竹鼻車庫300形301号

東美鉄道は、1926(大正15)年に東濃鉄道広見~御嵩を引き継いで設立された。1928(昭和3)年の電化直後は名鉄からの譲渡電車で運行したが、昭和5年にデボ100形電車を製造した。
東美鉄道100形は、1943(昭和18)年に名鉄と合併しモニ300形となった。その後荷物室が撤去されモ300形となり、竹鼻線等の600V線区で使用され、最後は制御車化されク2190形となった。

瀬戸電気鉄道テ→高富線70形・高富駅

瀬戸電は1905(明治38)年に開業、その2年後に電車の運転を開始した。電化に際しテ1形を製造、2軸単車のテ1形はその後も増備され1920(大正9)年までに32両が製造された。
1939(昭和14)年に名鉄と合併後、番号変更が行われ、戦後にモ20・30・70形となり、岐阜市内線・高富線などで使用された。

瀬戸電気鉄道ホ103形→喜多山車庫560形

1926(大正15)年に10両製造された、瀬戸電の代表車両。名鉄と合併後モ560形になった。
1962(昭和37)年以降、揖斐線と北恵那鉄道へ転属し瀬戸線から姿を消した。揖斐線に残ったモ560形は、その後モ760形と形式変更された。

三河鉄道100形→安城支線1080形

三河鉄道は1914(大正3)年に開業、その後路線を延伸し、大正15年に猿投~大浜港(現・碧南)を電化した。
その際にデ100形電車を製造。クロスシートで夫婦式電車と宣伝した。
1941(昭和16)年に名鉄と合併後、モ1080形と改称、ロングシート化、3扉化された。1957(昭和32)年に廃車。

知多鉄道910形→長浦駅

知多鉄道は、愛知電気鉄道の系列会社で、1931(昭和6)年に開業した。1943(昭和18)年に名鉄と合併した。現在の河和線。
開業時に製造したデハ910形電車(8両)。知多鉄道時代から愛電の神宮前へ直通運転を行った。名鉄合併後モ910形。1964(昭和39)年から台車・機器をHL新造車(3730系)に供出、制御車ク2330形となったあと、電装改造され瀬戸線の特急車900形に変身した。

碧海電気鉄道デ100形→愛電1010形

碧海電気鉄道は、愛知電気鉄道の系列会社で1926(大正15)年に開業した。1944(昭和19)年に名鉄と合併した。現在の西尾線。
開業時に製造したデ100形電車(3両)。1928(昭和3)年に碧海電鉄が愛電西尾線(岡崎新-西尾-吉良吉田)と直通運転のため1500→600Vに降圧。それにより愛電と車両交換を行い、碧海デ100形→愛電デハ1010形となった。
名鉄と合併後モ1010形、戦時中に付随車化、戦後に制御車化され600V線区へ転用された。

岡崎電気軌道の101号→岡崎市内線531号

岡崎市内線は、1899(明治32)年に岡崎馬車鉄道として開業、その後社名を岡崎電気軌道と変更し、改軌・電化を行い1912(大正元)年に電車運転を開始した。
岡崎電気軌道が1923(大正12)年に製造した2両のボギー車100形。
名鉄合併後モ530形となった。岡崎市内線は小型の2軸単車が主力で、2両の大型のボギー車はラッシュ時に重宝された。

渥美電鉄3号→名鉄→豊橋鉄道渥美線

渥美電鉄は1924(大正13)年に開業した。1940(昭和15)年に名鉄と合併、名鉄渥美線となったが、1954(昭和29)年に豊橋鉄道へ譲渡、豊橋鉄道渥美線となる。
開業時に製造されたモ1形(3両)で、新造直後の写真では2連窓上に横長の明かり窓があったが改造後と思われる。名鉄合併後モ150形と形式変更されたが、渥美線で使用され続け、そのまま豊橋鉄道へ譲渡された。

他社から来た電車

三重交通神都線より
→美濃町線540形

1949(昭和24)年に、伊勢の外宮-内宮-二見浦を走っていた電車を美濃町線へ譲り受け、540形とした。続行運転を減らすため1960(S35)年に541-542号の永久連結化改造を行い、2両連結でラッシュ時に美濃町線を走った。

北陸鉄道金沢市内線より
→岐阜市内線550形  岐阜工場(市ノ坪)

1967(昭和42)年に金沢市内線が廃止となり、総勢17両が岐阜市内線へ譲渡され、岐阜市内線の小型2軸単車を全て置き換えた。
550形はその中の代表車両で10両の仲間がいた。

琴平急行電鉄より
→揖斐・谷汲線180形

戦時中の1944(昭和19)年、不要不急路線に指定され休止(そのまま廃止)となった琴平急行電鉄から全6両が譲渡され180形となった。尾西線・竹鼻線で運行された後、最後は揖斐・谷汲線で昭和48年に廃車となった。

札幌市交通局より
→美濃町線870形 (服部重敬氏撮影)

1976(昭和51)年に札幌から岐阜へ来た「どさんこ」電車870形。欧風の優雅なスタイルの連接車で人気があった。晩年は冷房化・複電圧化・ワンマン化の大改造を行い、美濃町線(岐阜600V線区)の最後の日(2005/平成17年)まで活躍した。

東京急行電鉄(東急)より
→3880系 (服部重敬氏撮影)

オイルショック後の輸送量増加に対応するため1975(昭和50)年から、元・東急3700系を3両×7編成導入し3880系とした。当時名鉄の本線系に3扉車は少なく、本線・犬山線などのラッシュ輸送に活躍した。
大手私鉄同士の車両譲渡は珍しく話題になった。3扉新造車が増備された昭和61年にリリーフの役目を終え廃車になった。

東濃鉄道・駄知線より
→築港支線3790系 (服部重敬氏撮影)

1974(昭和49)年の水害により、東濃鉄道駄知線が廃止となった。東濃に在籍した元・西武鉄道の電車2両を導入し3790系とした。築港支線専用車として中間に2815号を挟んで3両編成で昭和60年まで使用された。

番外:国鉄規格の63系電車
名鉄3700系 2両×10編成

戦災による車両不足と、終戦直後の輸送量増大による大混雑を緩和するため、国の政策により国鉄が設計・製造した63系電車を大手私鉄に割り当てた。
昭和21年から名鉄線(東部線)に投入され3700系となったが、車体が大きくて枇杷島橋を通れないため、わずか2年で関東の私鉄へ譲渡された。

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