音声読み上げソフトをご利用のお客様へ。

名鉄資料館

廃止から10年・岐阜の電車(平成27年 春季特別展)

開催期間 : 2015.3.30~2015.9.11

岐阜の市内を走った電車は、1911(明治44)年に美濃電気軌道により開業しました。その後、傘下の長良軽便鉄道、岐北軽便鉄道、谷汲鉄道の路線を併せ、岐阜地区に70kmを超える一大路線網を築き上げました。名古屋鉄道合併後も、岐阜市内線・美濃町線・揖斐線・谷汲線・高富線・鏡島線として岐阜地区の輸送を支えてきました。
マイカー時代の到来により乗客が減少する中で、名鉄としても直通運転の実施や、新型車両の投入など最大限の努力を積み重ねてきました。しかし収支が改善することはなく、これ以上路線を維持することは困難と判断し、ついに2005(平成17)年3月末限りで岐阜地区600Vの全ての路線を廃止しました。
今年で岐阜の電車の全線廃止から10年になりますので、岐阜地区で小型の電車が活躍していた頃の写真をご覧ください。(特別展で展示した写真の一部をご覧いただきます)



岐阜市内線 (岐阜駅前~長良北町、徹明町~忠節)

新岐阜駅前 1961(昭和36).1.6

新岐阜(現・名鉄岐阜)から徹明町方面へ向かう岐阜市内線。
美濃電軌軌道が1911(明治44)年に開業した岐阜市内線は、名鉄と合併後も岐阜市民の足として活躍していたが、平成17年に全線廃止された。

本町開通時の絵はがき1911(明治44)年

1911(明治44).2.11に岐阜駅前~今小町で開業した美濃電軌の市内線は、同年10.7に本町まで延長開通した。

美濃電軌の納涼電車 大正時代頃

開業時の電車を改造し、窓はオープン、窓下は金網張りの納涼電車を夏場に運転した。

散水車 ミ1号 新川工場 昭和30年代

軌道敷が未舗装の時代は、砂塵を押さえるため撒水車が活躍した。岐阜には2台いたが、戦災にあい1号だけが復活。道路の舗装により役目を終えた撒水車は、新川工場にしばらく留置されていた。

岐阜駅前の電動貨車デワ22号 昭和20年代

電動貨車で沿線の貨物・荷物を輸送した。1964(昭和39)年まで主として美濃町線で活躍した。

徹明町 昭和20年代

戦後間もない頃の徹明町交差点
終戦直後は車両正面に英語表記があったが、その名残で注意事項がいろいろ書いてある。
徹明町交差点の南西角に協和銀行、北西角に丸宮百貨店があった。モ25号は元岐北軽便鉄道の電車

旧長良橋上の電車 昭和31年頃

1915(大正4)年に路面電車を通すために建設された4代目の長良橋。線路は単線で橋の上は板張りだった。
1957(昭和32)年に手前(下流)側に5代目の新橋梁を建設、路面電車も複線化された。

新岐阜駅前 正月風景 昭和30年代

柳ヶ瀬へ映画を見に行く人、伊奈波神社・高富大龍寺・鏡島弘法・谷汲山華厳寺などへ初詣に行く人たちで駅前電停は混雑していた。

新岐阜駅前 1960(昭和35)年

新岐阜百貨店は1957(昭和32)年3月に開店した。同時に新岐阜駅も駅ビルの中に入った。

新岐阜駅前 1967(昭和42)年

市内線の伊奈波通以北は急カーブのため大型車両が入線できず、小型単車が1967(昭和42)年まで活躍した。
廃止になった金沢市内線から、スリムなボギー車を導入し単車を置き換えた。

岐阜工場(市ノ坪) 1967(昭和42).7.24

昭和42年に廃止された北陸鉄道金沢市内線からスリムなボギー車17両(530・550・560形)の譲渡を受け、この日から使用開始した。
この年に移転完成した岐阜工場(市ノ坪)での式典

新岐阜駅前の554号 1977(昭和52)年頃

市内線の電車の色は、長年クリーム色と緑色のツートン色だったが、1975(昭和50)年から赤一色に順次変更された。

忠節橋の510・520形 1987(昭和62)年

昭和42年から岐阜市内線と揖斐線の直通運転が始まった。軌道と鉄道を直通する列車で、それに抜擢された電車が大正生まれの古豪510-520形だった。
昭和62年に新造車770形が登場し、引退の時期を迎えた。

新岐阜駅前 1988(昭63).5.31 寺澤秀樹氏撮影

さようなら岐阜市内長良線
長良線と呼ばれた徹明町~長良北町間は昭和63年6月1日に廃止された。
最終運行日の5月31日には無料電車が運転され、新岐阜駅前も混雑した。

770形・徹明町 2005(平成17)年

岐阜市内線初の冷房車770形が昭和62年に登場した。当初は赤色塗装であったが、後に登場した780形の塗装が好評だったので、770形もそれに準じた色に変更された。
廃止が迫った頃の徹明町交差点

780形・忠節橋 2004(平成16)年

1997(平成9)年に登場した、岐阜市内線-揖斐線直通用の最新のVVVFインバータ制御車両。
市内線廃止後、780形(全7両)は豊橋鉄道へ譲渡、770形(全4編成8両)は福井鉄道へ譲渡され、現在も活躍中。

最終電車 2005(平成17).3.31

鵜飼功一氏撮影

新岐阜駅前を出発する最後の電車(770形)。
岐阜市内を走った94年の歴史に幕を閉じた。


(旧)岐阜工場 (長住町)

1918~1967 (大正7~昭和42)年まで、新岐阜駅近くの長住町に岐阜工場があり、岐阜地区の電車の基地となっていた。1967年に市ノ坪へ移転。

新岐阜駅空撮1959(昭34).4

昭和32年に完成した新岐阜駅の駅ビル(新岐阜百貨店)。その近くの長住町に旧岐阜工場があった。

登場して間もない571号 昭和26年頃・旧岐阜工場

570形571~573号は昭和25年に製造され、まず美濃町線で使用された。集電装置がトロリーポール式で、昭和29年には全車ピューゲル化された。

岐阜工場(長住町)のトラバーサ 昭和30年代

工場内の車両移動はトラバーサ(遷車台)を使って行っていた。

岐阜工場(長住町)の留置線 昭和35年

大量の単車が活躍していた

岐阜工場(長住町)の昼休み風景 昭和32年

岐阜地区の路線の全盛時代、大勢の人が岐阜工場で働いていた。


(新)岐阜工場(市ノ坪) と 田神線(田神~競輪場前)

国土地理院航空写真(昭和62年)に追記
(クリックすると拡大)

岐阜工場は、1967 (昭和42)年に長住町から市ノ坪へ移転した。美濃町線の競輪場前から(新)岐阜工場までの入庫線が建設された。1970(昭和45)年、その入庫線を各務原線の田神駅まで延長し、田神線として営業開始した。
新岐阜駅から美濃町線へ直通できる複電圧車600形を新造して直通運転を開始、名古屋方面から美濃町線沿線への乗換が非常に便利になった。1997(平成9)年に岐阜工場は岐阜検車区に格下げされ、2005(平成17)年に岐阜600V線区全線廃止に伴い閉鎖された。

建設中の岐阜工場(市ノ坪) 1966(昭和41)年末

移転は昭和41年8月から始まり、昭和42年4月に完成した。

田神線市ノ坪で交換する600形
1970(昭和45)年
各務原線は1500Vで、美濃町線・田神線は600Vのため、複電圧車の600形を6両新造し、新岐阜~美濃町線の直通運転を開始した。市ノ坪駅は当初相対式ホームだったが、駅横を流れる荒田川の河川改修(川幅拡大)のため島式ホームに変更

市ノ坪駅 2004(平成16)年

市ノ坪駅に到着する800形電車。 検車区の中にあるような駅であった。美濃町線の乗務区も隣接していた。
800形は2000(平成12)年に3両製造された部分低床式の複電圧車

新岐阜駅の美濃町線ホーム 2004(平成16)

1970(昭和45)年に各務原線のホーム横に、低床の美濃町線専用ホームを作り、美濃町線直通の複電圧車が乗入れた。 2005(平成17)年に美濃町線が廃止され、このホームも撤去された。


美濃町線 (徹明町~美濃)

美濃電気軌道開通記念・絵はがき
1911(明治44)年 津保川橋梁(上芥見~白金)

美濃町線は1911(明治44)年に、岐阜の神田町から上有知(開業後間もなく、神田町→柳ヶ瀬、上有知→美濃町と改称)まで一気に開通した。

美濃町線・柳ヶ瀬522号など
1948(昭和23)年 宮松金次郎氏撮影

1911(明治44)年の開業から1950(昭和25)年3月まで美濃町線の起点は柳ヶ瀬だった。昭和25年4月に徹明町~梅林の新線へ切り替えて、徹明町が起点になった。

美濃電軌・関停車場 大正初期

開業時の面影を残す関駅。
駅名は後に美濃関となり、最後は新関で美濃町線の駅を終わった。

北一色~野一色・1970(昭和45)年

昭和45年に複電圧車600形が登場し、新岐阜~美濃町線直通運転を開始した。
正面が馬面のように細長い電車で人気があった。

競輪場前・昭和40年代

580形・駅員が道路の真ん中で通票の交換。
暑い日も、寒い日も電車と車に挟まれて大変だった。

510形・徹明町 昭和30年代

美濃町線の起点は昭和25年に柳ヶ瀬から徹明町へ移設した。

600形と870形(共にローレル賞受賞車)・美濃駅
1976(昭和51).10 服部重敬氏撮影

元札幌市電がフェリーに乗ってやってきた。
ヨーロッパ風の優れたデザインの電車。岐阜工場で改造、名鉄870形となり、この日美濃駅で出発式を行った。

津保川橋梁(上芥見~白金) 1980(昭和55)年

880形電車
1980(昭和55)年に新岐阜~美濃町線直通用に登場した、複電圧の高性能連接車、5編成10両製造 名鉄の軌道線車両で初の空気バネ台車・カルダン駆動。

美濃駅、営業最終日の賑わい
1999(平成11).3.31 寺澤秀樹氏撮影

平成11年3月31日。この日限りで新関~美濃間が廃止された。
新関~美濃間の晩年は、写真の590形(ワンマン車)が専属で運用に付いた。

新関~関 2005(平成27).3.27

新関~美濃を廃止するため、長良川鉄道・関駅への連絡線を建設した。新関~関0.3km、
営業期間1999(H11).4.1~2005(H17).3.31
わずか6年で廃止となった。

美濃町線は2005(平成17)年4月1日に全線廃止された。


ページトップへ