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名鉄資料館

伊勢湾台風と名鉄電車(平成26年 秋季特別展)

開催期間 : 2014.10.17~2014.11.28

  昭和34(1959)年9月26日の夜に来襲した伊勢湾台風から、平成26年で55周年を迎えました。愛知県下に死者3千人余をもたらした台風は、名鉄電車にも多くの被害を与えました。長期にわたる冠水区間もあって、全線復旧までに約2ヶ月を要しました。
  今日から振りかえって見ると、この地方は明治24年の濃尾震災以来大きな災害に遭わず地域全体にやや油断があった。予想より2時間以上も早く来襲し、十分な体制を調える余裕がなかった。などの点が反省されます。
  名鉄線で特に被害が大きかったのは、下記の区間です。
        ・常滑線 神宮前~聚楽園間 復旧11月15日 高潮による
        ・尾西線 津島~弥富間 復旧11月23日 長期浸水
  途絶した知多半島と名古屋との連絡には、グループ会社の協力のもと、代行輸送を確保しました。
        ・聚楽園~鳴海 当社バス、関連会社の観光バス
        ・熱田内田橋~横須賀港 愛知観光船(現名鉄海上観光船)
  残念ながら在宅の従業員は4名亡くなられましたが、乗客、駅員、乗務員には一人の死者も出していません。
  その後、高潮防波堤の建設など防災対策も格段に進歩し、東海・東南海地震への対策も進められています。今一度防災の原点を確かめるため、伊勢湾台風による名鉄電車の被害状況と復旧への足どりを明らかにします。
  この展示は、伊勢湾台風50周年の平成21年に特別展を開催しましたが、近年自然災害が多発傾向にありますので、新たに発見された資料も併せ、再度開催します。
(展示写真の一部をご紹介します)

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伊勢湾台風被害概要図
愛知県災害対策本部発行

水色部分が浸水区域
赤×印が堤防決壊
赤○印が道路決壊
赤△印が橋梁流失

堤防がずたずたに引き裂かれ、沿岸部を中心に大きな被害があったことがよく分かる。

(クリックすると拡大)

伊勢湾台風の被害から復旧し、運転再開日時を記入した線路図。
被害が甚大だった常滑線・神宮前~聚楽園、築港線と、長期浸水した津島線・藤浪~津島、尾西線・町方~弥富を除き、伊勢湾台風5日後の10/1には、ほぼ全線で運転を再開。
大型機械のない時代で、復旧作業は人海戦術だったが、被害状況からすれば、驚異的な早さで復旧している。5昼夜は不眠不休で復旧にあたったと社内誌に記載されており、改めて当時の鉄道マンの心意気を感じる。

10/2以降の運転再開は以下の通り。
常滑線
・10/8 神宮前~豊田本町
・10/9 豊田本町~道徳
・10/12 道徳~大江、築港線
・10/25 大江~柴田
・11/15 柴田~聚楽園 常滑線全通
津島・尾西線
・10/10 藤浪~津島口臨時駅(干潮時)
・10/14 藤浪~津島、町方~津島(干潮時)
臨時列車を運行、その後も減水時のみ運行
水深により運転区間が毎日変化する状態が11/9まで約1ヶ月も継続した。
・11/23 津島~弥富 これにより全線復旧

 

流木で埋まった常滑線大同町駅付近
  1959(S34).9月下旬

愛知県を中心に全国で5千人以上の犠牲者を出した伊勢湾台風で、最も犠牲者が多かったのが名古屋市南部である。
予想を遙かに超える高潮により、名古屋港の貯木場の木材が大量に流れ込み、家屋を破壊し、人命を奪った。

 

大同町駅舎にめり込んだラワン材
  1959(S34).9月下旬

高潮+流木による被害の凄まじさを物語る。
台風の夜、電車が運休になり大同町駅に取り残された15名ほどの乗客と駅員は、天井を破って屋根裏へ避難し無事であった。

 

最も被害甚大なる南区柴田西町付近
  1959(S34).9.28 宮崎新一氏撮影

流木の中に被害者を捜索する。
当時の航空写真を見ると、柴田駅の西(船見町)、大江駅の西(加福町)、道徳駅の西(木場町)に広大な貯木場があった。
写真は、船見町の貯木場から押し寄せた流木である。この流木が被害を大きくした。

 

一面の海となった大同町・柴田付近
  1959(S34).9月下旬

左下が柴田駅(ホームだけが見える)で、北方向を見る。右上の煙突群が大同製鋼の工場。その向こう側を左右に貫くのが大江川。
一面の海となっており、写真中央を上下に貫く柴田本通には、救援用の小舟が大量に浮かんでいるのが見える。

 

台風直後の大江川橋梁(大江~大同町)
  1959(S34).9月下旬

堤防が決壊し、橋桁も流された。
浸水により全体が海のようになっている。
写真上が大江方

 

大江川決壊現場(大江~大同町)
  1959(S34).9月下旬

橋桁が流され線路が宙吊りになっている。
写真手前が大江方

 

山崎川付近に止まったデキ(道徳~大江)
  1959(S34).9月下旬

9/26の17:50に神宮前を出発し東名古屋港に向かったデキ401号+377号は、山崎川付近で停電になったので停止。そのうちに浸水が始まり、ドアの隙間から滝のように水が流れ込んできたので、乗務員2名はデキの屋根上に避難した。瓦や木片、トタン板が飛ぶ中、必死に屋根にしがみつき腹ばいになって防いだ。水深もデキ377号の前照灯が沈み401号の屋根下50cm位まで迫り、高潮で押し寄せる流木が機関車にぶつかるたび揺れるのを必死に耐え抜き、翌朝5時頃、現場付近を調査に来た守山自衛隊の船に、合図灯を懸命に振り発見され救助された。

 

大江駅で動けなくなった電車
  1959(S34).9月下旬

大江駅の水は引いたが、大江駅の築港線ホームで水に浸かった電車や機関車は動けなくなった。
車体は無事だったので、臨時の復旧対策所や避難所(仮設住宅)となった。

 

臨時復旧対策所
  1959(S34).9月下旬

大江駅で動けなくなった電車内に、臨時に復旧対策所が設けられた。

 

仮設住宅となった電車 大江駅
ホームは物干場となった
  1959(S34).9月下旬
台風通過直後から、この電車の中に近所の被災者数世帯が入って生活していたが、明日から電車を動かすという日には駅員に感謝の言葉を述べて全員が立ちのいてくれた。
神宮前~大江と築港線は10/12に運転再開。

  

常滑線 朝倉駅
  1959(S34).9月下旬

海の横にあった上りホームは全壊、駅舎は流失した。
太田川~常滑間は9/30に単線で運転再開。

 

冠水した弥富駅周辺
  1959(S34).11.10

伊勢湾台風から45日後の弥富駅
まだ、ホームの高さまで冠水している。
高潮により海岸堤防が各所で破壊されて海水が流れ込み、海抜の低いこの地域は長期間浸水したままであった。自衛隊の尾西作戦(地元民・高校生も土嚢作り等を協力)で11/11に堤防が仮締切され、11/12からやっと排水が始まった。
津島~弥富間が最後まで不通区間として残ったが11/23に開通し、全線復旧した。

 

尾西線 五ノ三駅
  1959(S34).10.12

ホームの上まで海水に浸かり、なかなか水が引かなかった。

 

津島駅構内
  1959(S34).9月末

土嚢を積上げて防護中の津島変電所。
水中には、弥富から流されて来た金魚が泳いでいた。
津島駅は海から15km以上離れているが、台風通過1日半後の9/28朝から付近一帯が海水に浸かり始めた。最大水位は10/4大潮の時105cm(駅南の今市場踏切で計測)。満潮と干潮時では20cm以上の水深差があった。
小潮の時は満潮時でも水深40cm位に減ったが、10/19と11/2の大潮の時は80cm以上になった。11/11に堤防が仮締切され、11/20に津島地区の排水が完了した。

 

蒲郡線・三河鳥羽附近
  1959(S34).9月末

将棋倒しに傾斜した電柱の復旧作業。
各線区で鉄柱・木柱の約3千本(全電柱の13%)が暴風により倒壊または傾斜した。
蒲郡線は10/1から運転再開

 

常滑線・大江駅構内
  1959(S34).10

駅の南側ではクレーン車を使って、流入したラワン材の撤去作業

 

常滑線・大江~大同町
  1959(S34).10

大江川橋梁付近の復旧工事(大江川橋梁の北側)。
大江~柴田は10/25に単線復旧した。

 

太田川検車区
  1959(S34).11.6

太田川駅等で水に浸かった電車・機関車のモーターを台車から取り外して鳴海工場へ運び、分解整備した。
なお台風の夜に太田川駅では、4本の列車が停車、千人以上の乗客が暴風下の暗闇の電車の中に取り残された。水は電車の連結器高さまで迫る中、不安な一夜を明かした。

 

常滑線・柴田~名和
  1959(S34).11.11

天白川の南から名和駅の区間は、電柱が全てなぎ倒され、線路も水没、何もない海のようなところに仮設の電柱を立て、とりあえず単線レールをかさ上げして復旧を急いだ。

 

常滑線・柴田~名和
  1959(S34).11.14

天白川堤防のすぐ南側。
電気設備も未復旧の状態で、ディーゼル機関車と貨車により復旧作業が行われた。
人海戦術で、貨車から砂利を落としている。

 

常滑線・柴田~名和
  1959(S34).11.18

懸命の復旧作業により、常滑線は11/15に全線開通したが、一部区間は単線のみの開通で、周りが水に浸かった中、復旧作業は続く。

 

東名古屋港の貨物線
  1959(S34).11.18

東名古屋港の奥の7~9号地の貨物線では、国鉄から操重車ソ106号を借用し流木を撤去した。

 

河和駅の案内掲示板
  1959(S34).9月下旬

不通区間とバス代行、船代行の案内が掲載されていた。
電車(1500V線区)の25%・86両は床下機器が全部海水に浸かる浸水被害にあい、常滑線も寸断されて電車不足により、「輸送力僅少の為混雑し御迷惑をお掛け致します」の状態がしばらく続いた。

 

代行バスの運転 鳴海駅前
  1959(S34).10.7

常滑線・河和線連絡バスは、伊勢湾台風3日後の9/29から鳴海駅前~高横須賀~尾張横須賀で運転。10/1には太田川~聚楽園が開通(聚楽園以南全通)したので、鳴海駅前~聚楽園の代行バスルートができた。
当時はマイカー時代到来前で、一般家庭に自動車がない時代。鉄道・バス以外に交通手段はなかった。

 

代行バスの運転 聚楽園
  1959(S34).10

ずらり並んだ代行バス。
神宮前~聚楽園間が不通のため、孤立した知多半島のお客さんを聚楽園から鳴海へ運んだ。

 

代行バスの運転 聚楽園
  1959(S34).11.4

名鉄バスだけでなく、グループ会社の観光バスも総動員してお客さんを運んだ。
知多方面の代行輸送用に38台のバスを使用。
当時は、一部の幹線道路を除き、未舗装道路が当たり前の時代だった。

 

バス代行 大同町
  1959(S34).11

10/25に、大江~柴田間が開通し、神宮前~柴田間に電車が走るようになった。
それに伴いバス代行輸送は、干潮時:聚楽園~大同町、満潮時:聚楽園~鳴海間に変更された。(満潮時刻は毎日50~60分ずつずれていくので、駅には運行予定時刻が張り出されていた)

 

船代行 横須賀港~内田橋
  1959(S34).10 宮崎新一氏撮影

愛知観光船(現名鉄海上観光船)の初汐丸(81トン)などが担当。
3~4隻の船を使用し、熱田の内田橋から横須賀港へ10/16まで実施された。
なお同社は、近鉄・国鉄・国道の代行として三河丸(124トン)などで名古屋~四日市間の代行輸送も行った。

 

河和線の満員電車
  1959(S34).10.4 白井 昭氏撮影

名古屋方面が寸断された状態で運転再開された常滑・河和線だが、車両不足で超満員だった。

 

運転開始
大同町駅 1959(S34).10.25

仮復旧が完成し、電車が走るようになったので急いで手書きの案内ポスターを作成。
「神宮前~柴田 本日25日より運転開始」

 

運転開始
大同町駅 1959(S34).10.25

手書きのポスターを駅舎に貼り付け

 

運転開始 初列車
大同町駅 1959(S34).10.25

構内には流木が転がり、駅舎も壊れたままであるが、電車は神宮前~柴田間を動き出した。

 

運転開始 大江川橋梁を渡る試運転電車
大江~大同町 1959(S34).10.25

橋桁が流された大江川橋梁も、単線だけ仮復旧し、電車が走るようになった。

なお、大江川橋梁は1963(昭和38)年に下流側(写真右)へ新橋梁を建設した。

 

水を掻き分け走る電車 津島駅
  1959(S34).10
津島駅へは10/14に台風後初めて臨時列車が入ったが、その後も駅付近の水深は潮汐の関係で日ごと、時間ごとに増減し、運行は水深次第という状況が11/9まで約1ヶ月も継続した。この間、津島駅の北に、津島口臨時乗降場を設置し、津島駅まで入れないときはそこで折り返した。
11/10に津島以北は平常運行開始。津島以南は名鉄線最後の開通区間で、11/23に運行再開。

 

海の上を走るような電車
柴田~名和 1959(S34).11.18

常滑線では、天白川の南~名和駅までが最後まで水に浸かっていた。

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