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名鉄資料館

名鉄創業120周年記念写真展-電車が語る名鉄120年-(平成26年 夏季特別展)

開催期間 : 2014.7.22~2014.9.30

名古屋鉄道は、2014(平成26)年6月に創業120周年を迎えました。
名古屋の市内電車からスタートし、その後、郊外へ路線を延伸していきました。経営の基盤であった名古屋市内線を1922(大正11)年に名古屋市へ譲渡、その後20社以上の私鉄を合併、統合し、今日の名古屋鉄道の姿となりました。
120年の歴史の中には、時代の先端を走った電車や、合併会社から引き継いだ電車など、実に多種多様な電車が活躍しました。名鉄120年の歴史を電車の写真を通してご覧ください。
(展示写真の一部をご紹介します)

名古屋電気鉄道(名電)

愛知馬車鉄道として120年前の明治27年に創業、すぐに名古屋電気鉄道と社名を改め明治31年に名古屋の市内線で開業した。その後、郊外の一宮・犬山・津島へ路線を延伸。
名古屋市内線を名古屋市へ譲渡することになり、大正10年に名古屋鉄道を設立し郊外線を引き継いだ。昭和5年に美濃電気軌道を合併して名岐鉄道と社名変更したが、昭和10年に愛知電気鉄道との合併により、再び名古屋鉄道となり現在に至る。

名電1号形  名古屋電気鉄道本社前
1908(明治41)年

名古屋電気鉄道(名電)は、1898(明治31)年の開業用に12両の電車を製造。その後、路線の延伸などにより25両を増備。車号を1~37号まで、製造順に付番した。
車体形状は1~37号まで同じなので、1形電車、1号形電車と呼ばれる。オープンデッキの2軸単車で全長6.5m、運転台は開放型で、側面7枚窓。
名電の本社は那古野町にあった。本社横には、電車の電力を作るための火力発電所や車庫もあった。

名電1号形  栄町付近(武平町)
1903~1906(明治36~39)年

日清戦争記念碑は明治33年に武平町に建立され、大正9年に覚王山へ移設された。
記念碑左の建物が愛知県庁で、名電開業時は南久屋町の広小路の終点突き当たりにあったが、広小路を千種まで延伸するため、明治33年この南武平町に移転した。(なお県庁舎は昭和13年に現在地へ再移転。)
市内線も明治36年1月に久屋町~千種が延伸された。
明治39年3月まで市内線電車は右側通行だった。

名電38号形  名古屋駅前 明治末期頃

1907(明治40)年12月以降に増備された38~167号の電車は、それまでの1号形と外観は似ているが、車体が少し長く全長7.9mで側窓が8枚になり38号形と呼ばれた。側窓の枚数(7→8)で1号形と区別できる。
38~87号はモーター1台、88~167号はモーター2台で出力増強された。
当時の官設鉄道(国鉄)名古屋駅は、現在の笹島交差点の北西角付近にあった。

名電326号(168号形)

168~337号の大型単車170両が1915(大正4)年以降に製造された。市内線用の単車として最後のグループで、名電から名古屋市へ譲渡された電車の大半がこのタイプ(大正9年の車庫火災焼失車を除き151両を譲渡)。
なお、名古屋電気鉄道から名古屋市へ大正11年に市内線の全てが譲渡され、車両は単車215両、ボギー車15両、散水車5両の計235両を引き継ぐ。

名電・郡部線用のデシ500形(168形)
(当時は郊外線のことを郡部線と呼んだ)
大正7(1918)年8月 津島市立図書館所蔵

名古屋電気鉄道が、1912(大正元)年の郡部線(一宮・犬山線)開業に備えて製造した、車体長約10mの大型2軸単車。
郡部線用電車は168~205号が製造されたが、後に同じ番号の市内線用電車が製造されたので、大正7年に501~538号へ改番された。
後にデシ500形と呼ばれる郡部線最初の電車

名電 1500形

那古野車庫で組立中の郡部線最初のボギー車1500形1501号。この直後の1920(大正9)年6月に那古野車庫の火災で、1501号は焼失し、車体を3扉化して大正10年に新造、後にデボ350形351号となる。
那古野車庫の火災では、市内線用2軸単車85両、郡部線用2軸単車6両、散水車1両と組立中の郡部線用1500形7両が焼失。大きな痛手を受けた。
この車庫火災をきっかけに、名古屋市から市内線の市営化を正式に申し込まれ、大正10年に名古屋鉄道を設立、郡部線を継承した。翌11年に市内線は市営化。

モ350形351号 笠松  昭和30年代

1921(大正10)年に製造された名電1500形1501号。
3扉二重屋根で製造され、1501→デボ351→モ351と名称を変えた。
600V車のため、1948(昭和23)年に西部線の主要路線が1500Vに昇圧されたあとは竹鼻線で活躍。竹鼻線が昇圧された1962(昭和37)年に廃車となった。

デボユ310形311号

1920(大正9)年に完成した名電・郡部線最初のボギー車1500形(1507~1509)で、2扉で登場。(製造中の車庫火災の影響により、1501~06より先に完成)
大正末に形式称号変更でデボ300形となる。
昭和8年に郵便輸送の需要増大に応えて郵便室付合造車に改造。デボユ310形となる。
昭和16年モユ310形となり、昭和23年電装解除・郵便室撤去しク2270形となり1959(昭和34)年に瀬戸線で廃車となった。 1508→302→311→2271


愛知電気鉄道(愛電)

名鉄は20数社が合併してできた会社であるが、その母体は名古屋電気鉄道→名古屋鉄道→名岐鉄道(名岐)と、もうひとつが愛知電気鉄道(愛電)である。1935(昭和10)年に名岐と愛電が合併し、現在に続く名古屋鉄道が誕生した。
愛電は明治43年に創業、明治45年に知多半島西海岸の路線を開業(現・常滑線)、その後、神宮前を拠点に岡崎・豊橋方面へ路線を延伸した。

愛電 電1形 7号  1912(明治45)年製

電1形は、常滑線開業用に製造された愛電最初の電車。8両製造された(1~8号)。
なお、開業人気の乗客増により、急いで付随車・付1形4両(9~12号)を製造し、2両運転も行った。

愛電 電2形 15号  1913(大正2)年製

常滑線全線開通に向けて6両が増備された(13~18号)。初めて乗降用扉が付いた。
愛知県知多郡西海岸写真帳(大正4年発行)より

愛電 電3形  1022号

愛電最初のボギー車。
1921(大正10)年に6両製造され、後にデハ1020形となった。
6両のうち4両は、車両交換で愛電の子会社・碧海電鉄(現・西尾線)へ移り、デ100形になったあと、碧海電鉄が名鉄に合併すると、モ1000形に改称された。

愛電 電6形  1061号

1924(大正13)年から製造された、愛電最後の木造車で、デハ1060形。14両のグループだった。
性能面では後続の電7形(愛電最初の特急電車)と同じ。1958(昭和33)年から電装品をHL(3700系)へ譲り廃車となった。


犬山へお召し列車を運転 (昭和2年11月20日) 名古屋鉄道

1927(昭和2)年11月に、名古屋地方で陸軍特別大演習が行われ、昭和天皇が行幸された。大演習終了後の11月20日に犬山へ行幸され、往復とも名鉄電車を御利用になるという、当時としては破格の光栄に浴した。
天皇陛下が私鉄の電車にご乗車なさるのは初めてのことであり、会社ではお召し電車や諸設備の改善・整備を入念に行い、ご乗車の日を迎えた。

(クリックすると拡大)

お召し列車の編成
(お召し列車に関する達示の一部)

お召し列車は3両編成(非貫通)で、中間に貴賓車トク3号(SCⅢ)を連結し、陛下がご乗車になられた。
トク3号は電動車であるが、このときは付随車として運転された。
車内は3室に区分され、中央の洗面所を挟んで犬山方が陛下の御座室、押切町方が供奉員室。
往路と復路で御座室の座席配置を変えていたことが分かる。

お召し列車の運転時刻

名古屋鉄道社報 昭和2年11月17日発行
社報に記載されたお召し列車の運転時刻
1927(昭和2)年11月20日
(往)押切町発10:55→犬山着11:40
(復)犬山橋発15:50→押切町着16:35
次頁以降に、指導車(先導車)とお召し列車の各駅通過時刻が記載されていた。指導車はお召し列車の20分前に運転。両列車とも途中駅無停車。お召し列車は犬山到着後、新鵜沼へ回送(11:50→11:54)、復路は新鵜沼→犬山橋を回送(15:23→15:25)

犬山橋上のお召し列車  昭和2年11月20日

日の丸の旗を飾って犬山橋を渡るお召し列車。
(新鵜沼)←[706+トク3+707]→(押切町)
御料車トク3号の前後は、この年(昭和2年)に製造された「デセホ700形」で、手前が707号。
このすぐ右が犬山橋駅で、復路の天皇陛下はそこからご乗車なさった。従ってこの列車はお召しの回送。

犬山橋(現・犬山遊園)駅で陛下を待つお召し列車
昭和2年11月20日 15:30頃

昭和天皇実録によれば、陛下は犬山駅到着後-(自動車)-犬山城-犬山ホテル(昼餐)-(乗馬)周辺散策-犬山橋を渡り坂祝尋常高等小学校付近-木曽川畔-(自動車)-犬山橋駅
構内踏切は陛下の御通行用に一時的に土で埋められた(写真右下)。

トク3号(SCⅢ)

天皇陛下が乗車された御料車「トク3号」
この前年の1926(大正15)年に製造された。
中央が洗面所で、その両側が貴賓室と供奉室。
車体に表記されたS.C.No.ⅢのS.C.はState Carriageの略で、トクは特別客車。大正2年にSCⅠ・Ⅱの2両が製造され、この電車は3両目の貴賓車。
トク3号は、戦後の車両不足で3扉の一般車に改造され681号となり、最後は豊橋鉄道渥美線で1969(昭和44)年まで使用された。

トク3号(SCⅢ)車内

貴賓室(御座室)側から見た車内。
仕切の向こう側が洗面所で、その向こうが供奉室。
貴賓室のイスは移動できるようになっていて、天皇陛下は進行方向に向かって座られた。

トク3号(SCⅢ)車内

供奉室側から見た車内。

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