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名鉄資料館

犬山線開通100周年記念展(平成24年 秋季特別展)

開催期間 : 2013.10.1~2013.11.30

大正元年(1912)8月6日犬山線は一宮線(枇杷島~岩倉~東一宮)の支線(岩倉~犬山)として開通しました。2012年同じく開通100周年を迎えた常滑線(伝馬町~大野)より半年遅れの開通でした。これら二つの路線は、道路ではなく専用軌道に敷設された郊外電気鉄道であり、今日の名古屋鉄道の原点ともいえます。
この特別展では、計画段階の文書類、竣功監査復命書(複写)、開通当時のポスター、レール、写真などを展示し、さらに2012年春見つかった岩倉変電所跡の地下遺構と、今も残っている開通時からの橋梁橋台などを写真で紹介しました。
ここではポスター、絵葉書、写真などの一部を紹介いたします。

一宮・犬山線電車開通ポスター

明治31(1898)年、わが国2番目の電気鉄道を名古屋市内で開業した名古屋電気鉄道は、その後名古屋市内線の拡充を進めると共に、最初の郡部線(郊外線)として、一宮線・犬山線を大正元(1912)年8月6日に開通させた。
柳橋~押切町~岩倉~東一宮(開業当初は西印田まで)は複線で20分ごとに電車が走り、岩倉~犬山は単線で40分ごとに電車が走り始めた。

当時、一宮から名古屋へ向かう東海道線の汽車は1日15本で、日中は1~2時間おきの運転であった。その時代に20分ごとに走る電車が開通したので、大変便利になったと思われる。
昭和10(1935)年、名岐線の全通により、名古屋市内~一宮は名岐線がメインルートで、一宮線はサブルートとなり、一宮線の枇杷島橋~岩倉間は犬山線の一部という扱いになった。
昭和16(1941)年、枇杷島橋~新名古屋(名鉄名古屋)の開通に伴い、枇杷島橋~新鵜沼を犬山線とした。

一宮・犬山線電車開通記念しおり
三つ折の表面
大正元年8月発行
(一宮市立豊島図書館所蔵)

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一宮・犬山線電車開通記念しおり
三つ折の裏面
大正元年8月発行
(一宮市立豊島図書館所蔵)

主要停車場間の乗車賃金(運賃)表が記載(柳橋~犬山間が39銭)
運転時刻の説明で、押切~西印田(一宮)は20分毎(早朝・夜間は40分毎)、岩倉~犬山は40分毎、岩倉で名古屋行きに接続と記載されている。

開通当時の岩倉駅構内(絵葉書)
右手は岩倉変電所
大正時代初期

満員の電車は173号4輪単車。
名古屋電気鉄道は、郡部線(一宮・犬山線)の開業に備え、車体長約10mの大型単車を製造した。(市内線用は6.5~8m)
名古屋電気鉄道の電車は、当初形式称号がなく、1号から順に番号を付け、1~37号は名電1号形、38~167号は38号形と呼ばれ、共に市内線用の電車。
168~205号の郡部線用電車は168号形と呼ばれたが、大正7年に501~538号に改番された。

犬山線柏森付近を走る177号
大正時代初期

犬山線の岩倉~犬山口間は単線で開業した。
177号も、上の173号と同形式。
郊外線草創期の車両で、後にデシ500形となった。
犬山線は大正11(1922)年に、全線複線化された。

開業当初の犬山駅
大正時代初期

開業当初の犬山駅は、現在の駅より約100m西にあった。
犬山線の終点であったが、大正15年に犬山橋(現・犬山遊園)、新鵜沼へ延伸された。

開通当時の岩倉駅
大正元(1912)年

立派な駅舎の岩倉駅は、一宮線・犬山線の分岐駅で、車庫や変電所も配置され、重要な拠点だった。

岩倉駅車庫建設風景
明治44(1911)年

当時、建設機械はなく、建築も人力が頼りであったことがよくわかる写真。

建設中の旧庄内川橋梁
明治45(1912)年

一宮・犬山線建設工事の中で最大の難関であった。

旧庄内川橋梁 航空写真
昭和31(1956)年頃

明治末期に架けられた旧庄内川橋梁。昭和31年6月に新橋梁の工事に着手、昭和33年3月に完成、現在の橋梁に切替った。
橋梁のすぐ右側に、昭和24年までは枇杷島橋駅があり、本線と犬山線の乗換えができた。
橋梁のすぐ左側から、押切町へ線路が延びていたが、昭和16年に新名古屋(現・名鉄名古屋)への路線開通と同時に廃止になった。

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名古屋電気鉄道が、当初計画の郡部線(一宮・犬山・津島線)全通時に発行した線路図
大正3(1914)年3月発行

当時は、名古屋市内線も名古屋電気鉄道が経営しており、郡部線の電車は押切町駅から市内線に乗り入れ、柳橋駅まで直通した。
大正11(1922)年に、名古屋市へ市内線を譲渡したが、柳橋への乗り入れは継続され、昭和16(1941)年に枇杷島橋~新名古屋(現・名鉄名古屋)が開通し、新名古屋乗り入れを果たすまで続いた。

郡部線全通祝賀電車
岩倉駅
大正3(1914).3.14

当初計画していた郡部線(一宮・犬山・津島線)が3路線とも全部開通したので、大正3年3月14日10時から岩倉駅で、13時から犬山駅で、翌15日は新津島駅で開通祝賀式を行った。

大正3(1914)年頃の柳橋駅

郡部線のターミナルで、郡部線専用の駅舎とホームがあり、東一宮行きと、新津島行きが各々20分毎に出発した。
犬山方面は、東一宮行きに乗り、岩倉で乗り換えであった。

昭和10(1935)年頃の柳橋駅

名古屋電気鉄道は、経営の主軸であった市内線を名古屋市へ譲渡することになり、大正10年に名古屋鉄道を設立し、郡部線は名古屋鉄道が引き継いだ。
名古屋鉄道の本社は、大正11年に那古野町から柳橋へ移転した。昭和5年に美濃電気軌道と合併し名岐鉄道と社名変更、昭和10年愛知電気鉄道と合併し、再び名古屋鉄道となり、本社が神宮前へ移転するまで14年間、この柳橋駅が本社であった。

柳橋駅に入る750形760号
昭和10(1935)年頃

尾張地方各地を結ぶ郡部線の電車が、押切町から名古屋市営の市内線に直通し、柳橋まで乗り入れた。
柳橋駅の手前で市内線と分岐し、郡部線専用のホームへ入った。
750形は、昭和3~4年に10両製造された。市内線へ乗り入れ可能な最後の新造車。

押切町駅と新鋭800形電車
昭和10(1935)年頃

押切町駅は、尾張地方各地を結ぶ郡部線のターミナルであった。
昭和10年に押切町~新岐阜(現・名鉄岐阜)が全通し、新車800形を投入し、特急運転を開始した。
この800形は大型車両で、市内線に乗り入れることはできなかった。
昭和16年8月12日に枇杷島橋~新名古屋の新線開通に伴い、枇杷島橋~押切町は廃止になった。

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押切町駅の平面図
昭和10(1935)年頃

旅客用ホームが4線あり、中2線は市内線へ直通できる構造になっていた。
貨物ホームも2線ある。貨物の市内線乗り入れが認められなかったため、ここで貨物扱いを行った。尾張各地から電動貨車などで運ばれた貨物が、ここで荷車に積み換えて市内各地へ送られた。
自動車未発達の時代は、貨物輸送も鉄道の重要な使命であった。

古知野(現・江南)駅
昭和33(1958)年頃

昭和56年、古知野駅→江南駅に駅名変更された。現在、犬山線で最も乗降客の多い駅が江南駅である。
古知野駅は、昭和49年に地下道新設・地下駅舎化された。それに伴い、大正元年開業時から残った駅舎は姿を消した。

特別展の会場
平成24(2012).11.25
11月25日(日)に特別開館を実施し、当日は、係員による「犬山線100周年記念展」展示品説明会を3回開催した。

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