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名鉄資料館

岡崎市内線写真展(平成24年 春季特別展)

開催期間 : 2012.3.20~2012.5.31

岡崎市内線は、町から遠く離れた岡崎停車場と町の中心部を結ぶため1898(明治31)年に岡崎馬車鉄道としてスタートしました。開業当初は文字通り馬が客車を牽引する馬車鉄道で、軌間762mmの幅の狭い線路でした。
電車が走り始めたのが、100年前の1912年(大正元年)9月で、50年前の1962(昭和37)年6月に岡崎市内電車は廃止になり、バス化されました。
岡崎市内の繁華街を50年間走った市内電車も、廃止から既に50年経過しました。乙川に架かる殿橋からJR岡崎駅に至る道路に「電車通り」の愛称が今でも残っていますが、岡崎市内の風景は大きく変わり、市内電車の走っていた面影はなくなってしまいました。
岡崎市内電車が活躍していた時代の、懐かしい写真の数々をご覧ください。

岡崎市内線の歴史

岡崎市内線の廃止は、1962(昭和37)年6月17日。
廃止になったのは、大樹寺~岡崎駅前~福岡町8.8km。
このうち、本来の岡崎市内線は岡崎駅前~岡崎井田5.8km。
大樹寺~岡崎井田0.5kmは、分類上は鉄道の挙母線の一部。
岡崎駅前~福岡町2.5kmは福岡線で、岡崎駅前から南0.1kmまでが軌道、残り2.4kmが鉄道であった。この福岡線は、戦時中に不要不急路線として休止された旧西尾線(岡崎新~西尾)の一部を復活させた路線。
分類上は上記のように別れていたが、運用上は大樹寺~福岡町を一括して岡崎市内線としていた。


岡崎市内線の廃止案内ポスター(藤井 建 氏所蔵)

2012(平成24)年3月20日~5月31日に名鉄資料館で開催した「岡崎市内線写真展」の中から展示写真の一部を御紹介いたします。

殿橋専用橋
大正時代

岡崎停車場~殿橋に電車が走り始めたのは、1912年(大正元年)9月1日で、当初、殿橋は道路橋と分離された電車専用橋であった。

康生町付近
大正時代(絵葉書)

後方の松並木が乙川堤防と思われる。
写っている車両は、1922(大正11年)に増備された9形(9~12号)と思われる。

岡崎駅前の1号電車
昭和初期?
(下郷次郎八氏撮影)

電化開業用として、1912(明治45)年に製造された、岡崎電軌最初の電車。
1941(昭和16)年の名鉄合併後48号となり、戦後47号となった。

岡崎駅前の貨物列車
昭和初期

昭和初期の岡崎駅前で貨車を牽引する電動貨車。電動貨車に三河鉄道の社紋。
1927(昭和2)年に貨物輸送用に2両製造され、廃線まで活躍した。
市内線の戸崎町から日清紡の工場への引き込み線があり、1951(昭和26)年までは殿橋の南側に貨物駅もあり、貨物輸送が盛んであった。市内線を走る貨物列車の姿は、全国的に見ても非常に珍しい存在であった。

岡崎駅前の7号
昭和初期
(杵屋栄二氏撮影)

7号は1919(大正8)年に増備された。
後ろの建物に三河鉄道の看板が見える。
岡崎市内線は、1927(昭和2)年~1941(昭和16)年は、三河鉄道の岡崎市内線であった。写真はその間に撮られたもの。
7号は昭和16年に名鉄と合併して51号に改番されたが、戦災に遭い、車体を新造され61号となった。

殿橋
昭和初期
(杵屋栄二氏撮影)

1923(T12)年に製造された大型ボギー車100形102号
岡崎電軌初のボギー車で、101・102号の2両が製造された。
名鉄合併時、530形531・532号に名称変更され、岡崎市内線の主力電車として最後まで活躍した。

(クリックすると拡大)

京都からの助っ人90形 殿橋
1953(S28).8.12

1945(S20)7.19夜半からの空襲により、14両いた電車の約半数を焼失。
急遽譲渡された旧京都市電のN電。90~94号の5両在籍。京都出身の電車なので「本願寺」と呼ばれ、1954(S29)まで活躍した。
当時の複線区間は岡崎駅前から殿橋まで。道路拡幅により、この翌年に殿橋~康生町が複線化された。

廃止の迫った岡崎市内線を北から順にご紹介

岡崎市内線の終点・大樹寺
1962(S37).1.20

この駅で挙母線に接続していた。
同じホームで乗換ができるようになっていた。左が市内線の51号、右が挙母線の1081号。
挙母線は1973(昭和48)年3月4日に廃止。
法規上は、岡崎井田~大樹寺~上挙母が挙母線で、岡崎市内線は岡崎井田より南側であったが、実質的には岡崎井田~大樹寺は岡崎市内線の一部であった。

岡崎井田
1962(S37).1.20

正式名称は岡崎井田であるが、電車の行き先や電停には「井田町」と書いてあった。
終点の大樹寺まで0.5kmであるが、約半数の電車は、ここで折り返し運転を行っていた。

八幡社~伊賀町
1962(S37).6

伊賀橋を渡る貨物列車。
昔は、この伊賀川上流側の電車専用橋を渡っていたが、橋の架け替え(昭和26年)時、線路が橋中央に移設された。

(クリックすると拡大)

八幡社
1959(S34).7.28

伊賀八幡宮の鳥居の前を走る47号。
この47号は、岡崎電軌の1号電車が改番されたもの。
八幡社を出発し、岡崎駅前に向かう。

能見町
1962(S37).6

能見町で交換する55号と56号。

康生町
1962(S37).6

岡崎随一の繁華街・賑わいの康生町電停。

康生町
1962(S37).6

ここから手前の北側(大樹寺方面)は単線なので、続行板(窓下の円板)をつけて反対電車を待つデワ11号の貨物列車。

殿橋
1962(S37)頃

乙川にかかる殿橋を北側から見る岡崎市内線のハイライト。
丘の上にある学校は、愛知学芸大学。

岡崎城とデワ11号
1962(S37)

デワ11号が岡崎城を横に見て殿橋を渡る。

東岡崎駅前
1962(S37).6.15

名鉄本線のガードから殿橋・康生町方面を眺める。
東岡崎駅に一番近い電停であるが、駅から300mくらい離れていた。
渡り線(折返し線)の痕跡が残っており、かつては東岡崎駅前電停での折返しも行われた。

(クリックすると拡大)

東岡崎駅前~大学下
1962(S37)

名鉄本線のガード下をくぐった54号の岡崎駅前行き。
ガードの南側で、写真の右側が東岡崎駅。
資料館に保管されている岡崎市内線唯一のカラー写真。

車庫前
1962(S37)頃

東岡崎駅と岡崎駅の真ん中あたりにあったノコギリ屋根の岡崎車庫。

車庫前
1962(S37)頃

朝の勤務前のラジオ体操。
走っていた車両(20両)と同じくらいの人々が岡崎車庫で働いていた。

岡崎駅前
1962(S37).6.16

岡崎市電最後の日。
63年間ありがとう。

岡崎駅前
1962(S37).6.16

岡崎市電最後の日。
駅前に集まった電車と名残を惜しむ人達。
福岡町に向かう電車と、ここで折り返す電車。
右の「岡崎市内線のりば」の建物の中に岡崎市内線の事務所があった。
市内線の乗務員はここで交替していた。

岡崎駅前
1962(S37).1.6

立派な日通の事務所は.以前は西尾鉄道のターミナル岡崎新の駅舎だった。
ここの約100m南(写真奥)に、鉄道・軌道の分界点があり、そこから向こうは鉄道の福岡線であったが、市内線の電車が直通していた。

柱町
1962(S37)頃

柱町に到着した朝の通勤通学列車。車内が混み合っている。
続行で運転されていた。

東若松~西若松
1962(S37)頃
(桜井儀雄氏撮影)

531号が国鉄東海道線の下をくぐる。

終点の福岡町
1962(S37)

終点の福岡町で折り返す58号。
岡崎新~西尾を走っていた旧西尾線が、戦時中の昭和18年に不要不急路線に指定され営業休止、昭和26年に岡崎駅前~福岡町(旧駅名は岡崎新~土呂)が福岡線として営業再開した。
福岡町駅構内には、土呂駅の名残の高床ホームが残っていた。

康生町
1962(S37).6.16

岡崎市内線の営業運転最終日の夜。
花電車と別れを惜しむ人たち。

岡崎駅前
1962(S37).6.17

バス化の初日、車掌を囲んで記念撮影。
当時のバスには女性の車掌が乗っていた。

岡崎市内線の歴史

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