ドクターヘリ 中日本航空

テレビCMで紹介!

救急医療の現場で 社会を支える

中日本航空株式会社

柳剛 誠さん[操縦士] 森川 育矢さん[整備士]
丹羽 政晴さん[安全推進室] 
梅木 伽耶乃さん[CS]
小川 美志佳さん[営業]
(左から)

CONTENTS

  • ドクターヘリの正式運航より前から
    航空医療に貢献
  • 「1分でも早く」
    ドクターヘリの運航を支える人々の想い
  • ドクターヘリからドクタージェットへ
    受け継がれるDNA

ドクターヘリの
正式運航より前から
航空医療に貢献

名古屋上空を飛行する「ドクターヘリ」

最大時速200kmを超える高速性と、垂直に離発着ができる機動性を併せ持つ「ヘリコプター」。
このヘリコプターの特性を活かし、傷病者が発生した際、医師をいち早く現場へと運び、傷病者の治療を早期に開始することで、かけがえのない命を救っているのが「ドクターヘリ」です。

現在では、全国47都道府県すべてに配備されており※1、まさに「社会インフラ」のひとつと呼べる存在になっているドクターヘリ。人気ドラマの題材となったこともあって、その存在は多くの方に知られるようになりました。

ドクターヘリを運営している関西広域連合に属する京都府を含めます。

このようにドクターヘリが全国に配備され、それまでは救えなかったかもしれない命を救える社会の実現を陰ながら支えたのが、名鉄グループの「中日本航空」です。

1950年代に山岳遭難者の救助を目的にスイスで生まれたドクターヘリ※2は、その後、ドイツやアメリカで、救急搬送手段として広がっていきました。

英語では、Air Ambulance、あるいはHEMS(Helicopter Emergency Medical Service)と呼ばれています。

2024年2月から運航を開始した愛知県2機目となる豊明ドクターヘリ

日本では、1995年に発生した阪神・淡路大震災が、ドクターヘリ導入・配備の検討を加速させましたが、中日本航空はそれ以前の1980年代から、ドクターヘリの必要性を訴えていた一部の医療関係者の想いに寄り添い、試験運航などを行っていました。

1990年の入社直後からドクターヘリの運航に携わった丹羽 政晴さん

「日本でドクターヘリが運航される以前から、欧米ではヘリコプターによる傷病者の搬送が事業として成立していました。当時私はまだ若手でしたが、先輩社員たちは先見の明を持っていたのでしょう。『これからは日本にもドクターヘリが必要とされる時代が来る』と見込んでの先行投資だったと思います」と話すのは、現在は安全推進室に勤務する丹羽 政晴さん。黎明期はCS(Communication Specialist)※3として、ドクターヘリの運航を支えた一人です。

CS:ランデブーポイント(着陸地点:救急車と合流する場所)の調整など、ドクターヘリのフライトを地上からコーディネートする役割。

「ビジネス的な面だけでなく、聖隷三方原病院の岡田先生※4の信念と熱意に押された面も大きかったと思います。岡田先生は小児医療がご専門で『欧米の航空医療の始まりが小児医療であったことから、幼い子どもの命をひとつでも多く救いたい、日本でも必ず医療専用機による航空医療が必要となる』という想いを強く抱かれていましたから」と丹羽さんは続ける。

元聖隷三方原病院(静岡県浜松市)岡田 眞人副院長・救命救急センター長。1980年代からドクターヘリの国内運用に携わっている。

「ひとつでも多くの命を救いたい」という医療関係者の想いに共感した中日本航空。
阪神・淡路大震災をきっかけに、法整備や補助金のあり方など、国を挙げて公共事業化への検討が進む中、他の事業者とも一緒に、病院や自治体が行う試験運航や実証事業に協力しながら、ドクターヘリの運航ノウハウの蓄積に貢献してきました。
現在も、一事業者として国内で最大となる15の拠点で運航業務を担うなど、救急医療の現場を陰ながら支えています。

全国に15箇所のドクターヘリ拠点で活躍する中日本航空。
画像は拠点のひとつである長野県のドクターヘリ

「1分でも早く」
ドクターヘリの運航を支える
人々の想い

ドクターヘリは、整備士、操縦士、CSの3人が1チームとなり、医師・看護師や消防機関とも協力し運航しています。

「ドクターヘリの整備士であることに誇りを感じています」
と話す森川 育矢さん

「いつ要請があっても直ちに動き出せるよう常にスタンバイしていますので、 一般的なフライト業務と比べると精神的なプレッシャーは大きいと思います。でも、社会に貢献できる大切な仕事に携わっていることを誇りに感じています」と話すのは整備士の森川 育矢さん。

森川さんは、最近では2024年の元日に起こった能登半島地震の支援に派遣されたことが印象に残っていると話してくれました。

「能登半島の先端から金沢市内へ負傷者を搬送したのですが、大規模災害時にヘリコプターの能力を活かせることを再認識しました。今回の震災のように道路が通行不能になり、分断されてしまった際には、本当に貴重な搬送手段になると思います」。

石川県上空を飛行するドクターヘリ(画像は震災以前の物です)

「ドクターヘリ」のパイロットになるために転職したと話す
操縦士の柳剛 誠さん

自衛隊から転職した操縦士の柳剛 誠さんは、転職理由を話してくれました。
「私は元々自衛隊でヘリコプターの操縦士になって、最初はその操縦の魅力にハマったのですが、高速性・機動性の高いヘリコプターを操ることができるという自身の技術を、さらに社会のために活かせる場所はないか、と考えるようになり、ドクターヘリを全国配備している中日本航空で働くことを選びました」。

温泉地で熱傷を負った女の子を搬送する際、幼い子どもが苦しんでいることを思うといたたまれず、「一刻も早く助けてあげたいという想いで操縦桿を握っていた」と振り返る柳剛さんは、「地形や天候などを考慮してとにかく効率的に飛び、1分でも早く現場に着いて、傷病者に早く医師を接触させる。これを積み重ねていくことが、操縦士として僕が最大限に貢献できるところだと思います。もちろん安全最優先で、確実に運ぶ。それを積み重ねていきたいです」と話してくれました。

実はヘリコプター操縦士の資格も保有しているという
CSの梅木 伽耶乃さん

地上からドクターヘリの運航をコーディネートする、CSの梅木 伽耶乃さん。CSとは、消防からのドクターヘリ出動要請を受けて、離着陸地点の選定や消防車との連携など、ヘリの安全でスムーズな運航を地上からサポートする業務です。

「ドクターヘリは、ヘリポートや空港ではない場所に降りることがほとんどです。発生現場から一番近い離着陸が可能な場所を消防の方とも協力しながら探して、いち早く医師や看護師が傷病者に接触できるようコーディネートするというところが、CSの一番の腕の見せ所だと思います。
ただ、当日の天候はもちろん、指定したポイントで今日は工事をしていますとか、小学校のグラウンドを指定したら運動会をやっていますとか、実際には色々なことが発生します。そうした時でも焦らず、どれだけ早くスムーズに、かつ、少しでも医師・看護師の方や操縦士がやりやすいように、という相手側の目線も意識してコーディネートして、スムーズに合流ができた時にはやはりやりがいを感じますね」。

整備士、操縦士、CS、3人それぞれのスキルとチームワークがドクターヘリの安全運航を支えています。今回登場した3人だけでなく、ドクターヘリの運航に携わる全てのメンバーが社会に必要とされる事業の一端を担う「誇り」や「使命感」を持って、ミッションに臨んでいます。
また、事業者として国内最大となる15か所のドクターヘリの拠点で運航を担当する中日本航空には、「かけがえのない命を救う仕事に携わりたい」という、社会貢献意欲を抱いた若手が自ずと集まってきて、仕事を通じてさらに「誇り」や「使命感」を高めていく、そんな好循環が生まれています。

ドクターヘリから
ドクタージェットへ
受け継がれるDNA

2024年から試験運航をはじめたドクタージェットの
重要性を語る営業の小川 美志佳さん

中日本航空は、航空医療搬送の分野で新たな挑戦をはじめています。
それが「ドクタージェット事業」。ヘリコプターではなく小型ジェット機の機内に人工心肺装置「ECMO」等、ヘリコプターでは搭載できないような大型の医療機器を搭載し、集中治療を行いながら高度な治療が可能な大都市圏の病院へ、「全国規模」の長距離搬送を行います。

「残念ながら日本の地域医療格差はまだまだ大きく、特に小児が高度医療を受けられる病院は太平洋側の都市部に集中しているというのが現状です。ドクタージェットは、この地域間格差を埋めて、より多くの命を救える可能性を持っています」と話すのは営業の小川 美志佳さん。

ドクタージェット試験運航第1例目の様子

今はまだ公的な補助もなく、事業主体であるNPO法人がクラウドファンディングなどで集められた寄付金だけで運航を行っている状況です。
中日本航空はこの事業に協力していますが、先行投資を恐れず、医療関係者をはじめとする関係機関に協力しながら搬送の実績を積み重ね、安定した運航に繋げてゆく、このプロセスはドクターヘリの黎明期から現在までの歴史と重なります。

中日本航空本社の格納庫にて

「救える命を救いたい」という医療関係者の想いに寄り添い、国内では誰もやっていなかった「ドクターヘリ」に挑戦した中日本航空。さらなる地域間の医療格差解消に向けて、今度は「ドクタージェット」という新しい挑戦も始めた彼らの取り組みは、まさに救急医療の現場で社会を支える「名鉄×WAO!」の一例です。

中日本航空株式会社

住所

〒480-0202
愛知県西春日井郡豊山町
大字豊場字殿釜2番地

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