
テレビCMで
紹介!
「このまちに住んで良かった」働く子育て世帯をサポートする
博物館 明治村
テレビCMで紹介!
中野 裕子さん[主任学芸員]
湯田 晃久さん[所長]
石川 新太郎さん[建築部長](左から)
明治時代を中心とした近代建築を保存・展示する博物館 明治村。その特徴は、展示されている建造物が移築・復元された「本物」であること。明治村が「明治時代のテーマパーク」ではなく、「博物館」と銘打っている理由はそこにあります。
文明開化が起こった激動の明治時代。当時の人々の工夫や挑戦の軌跡は、未来を生きる人々への「贈り物」になる――そう考えた建築家の想いを起点に、名古屋鉄道が中心となって1965(昭和40年)年に開村。2025年3月18日には60周年を迎えました。
太平洋戦争が始まる直前の1940(昭和15年)年、イギリスやアメリカとの関係が緊張していく中、明治時代の象徴的建造物「鹿鳴館※1」が取り壊されました。ほとんど議論もされずに行われたこの取り壊しに「明治時代の建物や人々の所持品は、次の時代への有意義な贈り物となったろうと思うと、惜しい気がしてならない」と嘆いた※2のが、後に明治村の初代館長となる建築家の谷口吉郎氏(1904~1979年)。谷口氏の想いもむなしく、戦災によってその数を減らした「明治建築」は、戦後、日本経済の急激な発展とともに、さらに急速に失われつつありました。
こうした状況の中、谷口氏の想いを受け止めたのが、旧制第四高等学校(今の金沢大学)の同級生であった、名古屋鉄道の土川元夫氏(1903~1974年)です。後に名古屋鉄道の社長、および会長になった土川氏の「明治の建物を移築して村を作るのはどうだ」という提案から、優れた明治建築が取り壊されるという情報を得ると現場へ駆けつけ移築に取りかかるという、壮大なプロジェクトがスタートしました。
鹿鳴館は、明治政府が不平等条約改正のため、欧化政策の一環として建設した西洋建築の社交場。外国要人接待や上流階級の舞踏会の場として使用されました
「明治の愛惜」と題して東京日日新聞に1940(昭和15)年11月8日に寄稿
約100万平方メートルの広大な敷地には、国の重要文化財を含む64件の建造物が展示されています。それぞれに置かれていた状況や風土が異なる建造物を、可能な限り当時の姿に忠実に復元・保存するには困難が伴います。
アメリカ人建築家 フランク・ロイド・ライトによって設計された「帝国ホテル中央玄関」
「年月が経っているのはもちろん、現在は使用されていない構法、生産されていない材料もあります。時には失われた構法の再現にも挑戦するなど、建造物ごとに適した復元・保存の方法を読み解いています」。そう話すのは、建築部長の石川新太郎さん。
例えば、アメリカ人建築家 フランク・ロイド・ライトが設計し、東京都千代田区にあった帝国ホテルは、鉄筋コンクリート造のため、解体して移築することが困難でした。そのため、中央玄関の明治村への移築にあたっては、ライトによる設計の理念、寸法体系、および空間の質を保存する「様式保存」という考え方が採用されました。頭上に配された部位などについては安全に配慮し、大谷石の一部をコンクリートや擬石で代用し、テラコッタを樹脂製にするなどの工夫が施されています。
帝国ホテル中央玄関では、ライトが常滑の職人に作らせたすだれ煉瓦と、それを模して復元されたスクラッチタイルが並んでいる場所があります。石川さんは「見比べることで、本物の価値や、復元の忠実さを感じてもらえます」と語ります。
「本物を後世に残す」という強い信念が、地道な調査や研究を積み上げ、困難を乗り越える原動力になっています。
「帝国ホテル中央玄関」のオリジナルの部分(左)と復元した部分(右)の違いを解説する
建築部長の石川さん
明治村には建造物以外にも、近代化を支えた機械、多色刷り木版画の錦絵、そして宮廷家具や生活道具に至るまで、3万点を超える貴重な資料も収集・保存されています。
「帝国ホテル中央玄関」に展示されている椅子を説明する学芸員の中野さん。フランク・ロイド・ライトがデザインした椅子には、実際に座ることもできます
学芸員の中野裕子さんは、「一般的な博物館は展示だけですが、明治村では、実際に使用されていた本物の椅子に触れて、座ることもできます。つくりものでは表現できない息遣いを、五感で体験してほしいです」と語ります。他にも、現役で走っている蒸気機関車(SL)や京都市電に乗車できるのも「本物の体験」のひとつです。
60年前に明治村が開村した当初、明治生まれの人々はまだまだ現役世代。しかし、時代は令和になり、明治はどんどん遠くなっています。だからこそ、明治の価値を知ってほしいと、所長の湯田晃久さんは語ります。「明治時代は、新しい価値観を受け入れ、挑戦と試行錯誤を繰り返しながら、今の日本の礎を築いた時代でもあります。変化が激しく、価値観が多様化している令和の今こそ、明治時代を知ることで、この先の混沌とした時代を生き抜くヒントが得られるはずです」。
文化遺産を通じて明治の価値を分かりやすく伝え、明治村を長く愛される存在にしたいと話す所長の湯田さん
強い向上心や新しいものを積極的に取り入れる姿勢、困難に立ち向かう不屈の精神は、私たちが未来を切り拓くヒントになるはずです。本物の価値を残し、次世代に伝えることで未来へつなげていく明治村は、まさに「名鉄×WAO!」の一例です。