織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、日本を代表する3人の武将をわたしたちは「三英傑」と呼んでいます。「なごや」のまわりには、この3人にまつわる「ものがたり」がたくさんあります。戦国武将に想いを馳せながら、Co-machiエリアを「たび」してみませんか?
様々な物語を巡る旅・・・「ものがたび」三英傑があなたのお越しをお待ちしております。

三英傑が手にした犬山城
戦国時代に天下統一を目指した三英傑「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」ゆかりの城をめぐってもらう。国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537年)に織田信長の叔父・信康が築城しました。天守は現存する日本最古の様式です。扇状地である濃尾平野の扇の要に位置し、尾張国と美濃国の境で、中山道と木曽街道に通じる要所にある犬山城を三英傑、信長・秀吉・家康がそれぞれの時代に手にすることで天下人への道を切りひらきました。信長は永禄8年(1565年)に織田信清を破り、秀吉は天正12年(1584年)に秀吉方の池田恒興が中川定成を破り、家康は慶長5年(1600年)に徳川方の中村一忠・一栄が石川貞清を破り、犬山城を手にし天下統一への足がかりにしました。

「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜
戦国時代、岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長。彼は戦いを進める一方、城内に「地上の楽園」と称される宮殿を建設、軍事施設である城に「魅せる」という独創性を加え、城下一帯を最高のおもてなし空間としてまとめあげました。自然景観を活かした城内外の眺望や長良川での鵜飼観覧による接待など、
冷徹なイメージを覆すような信長のおもてなしは、宣教師ルイス・フロイスら世界の賓客をも魅了しました。信長が形作った城・町・川文化は城としての役割を終えた後も受け継がれ、現在の岐阜の町に息づいています。

信長 美濃攻略
1561年、織田信長は斎藤道三の子、義龍の急死をきっかけに美濃攻めを本格化させる。斎藤軍が手ごわく攻めあぐねたものの、信長は居城を小牧山城に移し、ここを拠点に犬山城、鵜沼城、猿啄城(さるばみじょう)を次々と攻略した。1567年、ついに信長は斎藤家居城の稲葉山城(現在の岐阜城)を包囲。義龍の跡を継いだ龍興は逃亡し、信長は城と美濃を手に入れた。※詳細は、岐阜県及び「岐阜戦国・武将観光推進連絡会」が令和5年10月に発行した、城郭ガイドブック「岐阜の城百景」の11~12ページに記載しています。詳しくは、『岐阜の城百景』で検索ください。

京から江戸へ公家の姫君が将軍に降嫁した中山道(別名“姫街道”)
江戸の日本橋から埼玉県、群馬県、長野県を経て岐阜県滋賀県、京都を結ぶ中山道は、江戸時代の主要道五街道の中でも最も長く、69の宿場があります。そのうち、岐阜県には17の宿場があります。川を渡ることが多く天候によっては支障がおきる東海道と違い、中山道は女性を含めた多くの旅人の往来に好まれたといいます。京から江戸へは公家の姫君が将軍に降嫁するルートとしても頻繁に利用されました。
中でも、特に当時の景観が残っているのが、馬籠宿~御嶽宿間で、最近は名鉄御嵩駅から東に向かって中山道を歩く、外国人ツアーの姿も少なくありません。

小牧・長久手の戦い
尾張北部の犬山城・羽黒城・楽田城・小牧山城を中心に、羽柴秀吉陣営と徳川家康・織田信雄陣営との間で行われた小牧・長久手の戦いのを追体験してもらうのはいかがでしょうか?
天正10年(1582年)「本能寺の変」で織田信長が倒れて後継者争いで世の中は乱れ、天正12年(1584年)に羽柴秀吉対徳川家康・織田信長の次男信雄との間で「小牧・長久手の戦い」が始まりました。以後、犬山城・羽黒城・楽田城に陣を構えた秀吉と、小牧山城に陣を構えた家康・信雄との戦いが続き、主戦場は尾張南部に移っていきました。この小牧・長久手の戦いで緒戦となったのは犬山城であり、終戦まで秀吉方の本城であったのは楽田城でありました。

織田・豊臣・徳川の崇敬を受けた津島神社と信長も見た天王祭
540年、欽明(きんめい)天皇元年の鎮座と伝えられ、長い歴史を誇り、織田・豊臣・徳川から格別の崇敬を受けました。御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められ、全国3000以上点在する津島神社の総本社でもあります。
神職による神社の説明後、徳川家康の四男の松平忠吉の妻女・政子が寄進した「本殿」、豊臣秀吉の寄進と伝えられる「楼門」(いずれも国指定重要文化財)、豊臣秀頼が寄進した「南門」(県指定文化財)、「尾張津島天王祭の車楽舟行事」(ユネスコ無形文化遺産)についても通常、未公開の祭船のレプリカを見学しながらガイドボランティアが解説します。

徳川家康公生誕の地「岡崎」
徳川家康公の生誕地である岡崎には家康公ゆかりのスポットが点在しています。家康公ゆかりのスポットをめぐって家康公の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。
①岡崎公園・岡崎城
日本100名城に指定されている神の君出生の城「岡崎城」や、開運スポットである東照公産湯の井戸などがあります。
②龍城神社
岡崎城の隣に鎮座する神社。家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残る開運スポットです。
③菅生神社
日本武尊命により、西暦110年に創建されたといわれている岡崎最古の神社。松平家、家康公ゆかりの神社で、家康公が25歳の時、厄除開運祈願をされ、社殿、寄進田など厚く嵩敬されました。
④松應寺
家康公が、父・松平広忠公の菩提のために創建。かつて一族繫栄を願って植えた松が大きく成長し、自らも城主となる願いが叶ったことが寺号の由来。
⑤伊賀八幡宮
家康公の祖先、松平氏の守護神として創建。江戸時代を通して、武運長久・子孫繫栄の守護神として将軍家に篤く嵩敬され、本殿・随神門・神橋などは、国の重要文化財にも指定されています。家康公も大きな戦の前に必勝祈願したとされています。
⑥大樹寺
松平家・徳川家康将軍家の菩提寺で、宝物殿には徳川将軍14代までの等身大位牌が安置されています。また、家康公の旗印「厭離穢土欣求浄土」は、大樹寺の住職登誉上人が若き日の家康公を諭した言葉として有名です。
⑦隨念寺
1562年、家康公が祖父の松平清康公と、幼少期に養育を受けた久姫を弔うために創建された寺院です。東海道を見下ろす丘陵に建てられており、秀忠公の寄進による本堂、鐘楼門は現在でも建立当時の姿を保ち、城の防御拠点としての名残りをとどめています。
⑧六所神社
松平氏の産土神として松平家、徳川家の農敬が篤い神社です。本殿・拝殿・楼門・神供所は国の重要文化財に指定されています。

織田・豊臣・徳川の崇敬を受けた津島神社と信長も見た天王祭
540年、欽明(きんめい)天皇元年の鎮座と伝えられ、長い歴史を誇り、織田・豊臣・徳川から格別の崇敬を受けました。御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められ、全国3000以上点在する津島神社の総本社でもあります。
神職による神社の説明後、徳川家康の四男の松平忠吉の妻女・政子が寄進した「本殿」、豊臣秀吉の寄進と伝えられる「楼門」(いずれも国指定重要文化財)、豊臣秀頼が寄進した「南門」(県指定文化財)、「尾張津島天王祭の車楽舟行事」(ユネスコ無形文化遺産)についても通常、未公開の祭船のレプリカを見学しながらガイドボランティアが解説します。


サムライ・ニンジャフェスティバル 2024
- 会 場
- 県営都市公園大高緑地
- 内 容
- 全国の武将隊や忍者隊等が集結するステージイベント、県内外の武将観光PRブースの出展、火縄銃実演、甲冑試着体験等
愛知県は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の郷土三英傑を始めとした戦国武将を多数輩出しており、県内には戦国武将にゆかりのある名所や史跡などの武将観光資源も数多く残っていることから、「武将観光」を県独自の観光ブランドとして推進している。
県内外からの観光誘客を図るとともに、全国に類を見ないほど武将観光資源に恵まれた県の特性について、認知度を高めるため、全国の武将隊や忍者隊等が集結するイベントとして「サムライ・ニンジャ フェスティバル2024」を開催し、「武将のふるさとあいち」の情報発信を行うとともに、武将観光のハブとして、各武将観光資源との連携を目指しています。