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名鉄資料館

常滑線全通100周年記念展(平成25年 夏季特別展)

開催期間 : 2013.7.16~2013.9.13

今日の名古屋鉄道を築いている鉄道の根幹は、かつての名岐鉄道(名岐)と愛知電気鉄道(愛電)の両社が経営していた路線が中心となっています。その一つである愛電は、1910(明治43)年11月に創立されました。
愛電の最初の路線として、知多半島西海岸を結ぶ、熱田~常滑の路線が計画されました。(将来は知多半島のみに限らず、愛知県東南部一帯に路線網を広げようという構想のもとに「愛知電気鉄道」という会社名を採用)
伝馬町以北と大野町以南の用地買収が難航したため、まず、伝馬町~大野町23.3kmを1912(明治45)年2月18日に開業、同年8月1日に秋葉前~伝馬町0.4km開通、その翌年3月19日に大野町~常滑5.2km開通、同年[1913(大正2) 年] 8月31日に神宮前~秋葉前0.6kmが開通し、神宮前~常滑間が全通しました。
今年でちょうど100周年を迎えます。
現在は、中部国際空港へのアクセスとして重要な役割を担う、常滑線の100年の歴史を写真などでご覧ください。

常滑線の歴史

2013(平成25)年7月16日~9月13日に名鉄資料館で開催した「常滑線全通100周年記念展」の中から展示写真の一部を御紹介いたします。

秋葉前~神宮前 跨線橋完成
1913(大正2)年

東海道線と熱田運河を跨ぐ全長140mの跨線橋は、当時としては大工事であった。
これにより常滑線神宮前~常滑が全通した。

常滑線・長浦海岸
大正初期

開業して間もない頃の長浦海岸を走る常滑線の電車

新舞子駅
大正初期(絵葉書)

開業して間もない頃の新舞子駅

大野(大野町)駅
大正初期(絵葉書)

1912(明治45)年2月に大野町(開業時の駅名は大野)まで開通、その翌年(大正2年)3月に大野町~常滑が開通
写真向こう側が常滑方で、海は右側

電1形
1912(明治45)年製造
日本車両製

常滑線開業用に製造された愛知電気鉄道最初の電車。8両製造された。

電2形
1913(大正2)年製造
名古屋電車製

常滑線全線開通に向けて6両が増備された。

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神宮前と愛電本社
1921(大正10)年頃

御田踏切東海道線跨線橋上から神宮前駅を見る。有松線(後の名鉄本線)開通後で、駅に停車中の電車は有松行き。その右の左へカーブしている線路が常滑線。Sカーブして東海道線の上を越した。
愛知電気鉄道は、1935(昭和10)年に名岐鉄道と合併し名古屋鉄道になり、神宮前の愛電本社(写真中央左の建物)が名鉄本社となったが、昭和11年7月に火災で焼失。同年11月、焼跡に新社屋を建築したが、昭和20年5月の空襲で再焼失。各地に分散疎開。昭和22年に名古屋駅前へ新築移転した。

聚楽園の大仏と混合列車
昭和初期(絵葉書)

聚楽園の大仏が完成したのは1927(昭和2)年5月
常滑線の貨物輸送は、最初の頃はこのように電車が貨車を牽引していたが、大正末頃から電気機関車を導入し、徐々に旅客と貨物の分離を行った。

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神宮前駅・空撮
1955(昭和30年)頃

当時は、東海道線の東側と西側にホームがあった。
神宮前駅舎は、当初駅の東側にあったが昭和9年に西側に駅舎を新築し、ホームとの間に跨線橋を建設した。
常滑線は、単線で本線と東海道線を跨いでいた。それが輸送のネックとなり、昭和17年に西駅ホームを建設した。
昭和37年に複線の跨線橋が完成し、翌年のダイヤ改正以降は西駅での旅客扱いがなくなり、貨物専用となる。
神宮前の西駅付近は、東名古屋港付近の臨海工業地帯の貨物を常滑線経由で国鉄へ中継する基地として賑わっていたが、昭和40年の名古屋臨海鉄道開業により、その使命は終わった。

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神宮前駅の変遷図

赤線
1913(大正2)年8月31日に全通した常滑線(単線)
橙線
1917(大正6)年3月19日に、後の名古屋本線となる有松線(神宮前~有松裏)が開通
青線
1942(昭和17)年7月10日に神宮前西駅~伝馬町0.6kmが複線開通
水色線
1944(昭和19)年9月に新名古屋~神宮前の東西連絡線が開通し、岐阜-名古屋-豊橋の線路がつながった。国鉄(省線)との貨車の授受が、神宮前の北西部(図の左)から神宮前西駅側に移転。
緑線
1955(昭和30)年12月に国道1号線との立体交差化が完成。1962(昭和37)年12月に東海道線を跨ぐ複線の新跨線橋が完成

7000系パノラマカーの「とこなめ」号
常滑駅
1979(昭和54)年3月
(服部重敬氏撮影)

1978(昭和53)年8月~1981(昭和56)年8月の夏と競艇開催日に運転された。

常滑駅構内の貨車積み込み
1961(昭和36)年

構内にうず高く積まれた常滑土管が、貨車に積み込まれ貨物列車で全国へ発送されていった。

常滑線貨物列車(デキ400形)
日長~新舞子
1976(昭和51)年12月
(服部重敬氏撮影)

名鉄の貨物輸送は、1963(昭和38)年がピークで、その後はトラック輸送の発達により急減した。常滑駅の貨物営業は1982(昭和57)年に廃止された。

5000系の特急「下呂号」常滑行き
新舞子~大野町
1969(昭和44)年

当時、日本ライン今渡で下呂行きのバスに連絡する特急「下呂号」が運転されていた。

長浦駅と3400系
1961(昭和36)年8月
(白井 昭氏撮影)

長浦駅のすぐ横が海水浴場で、夏は海水浴客で賑わった。
3400系電車は、1937(昭和12)年に登場した流線型の元特急車両。「いもむし」という愛称で呼ばれた。

太田川車庫の850系
昭和40年代

太田川に検車区があり、常滑線・河和線の列車検査を行っていたが、検車区は1985(昭和60)年に閉鎖された。 850系電車は、1937(昭和12)年に登場した流線型の元特急車両。「なまず」という愛称で呼ばれた。

朝倉駅を出発する3900系
1961(昭和36)年8月
(白井 昭氏撮影)

朝倉駅のホームのすぐ横は海だった。
昭和37年から名古屋南部臨海工業地帯の埋立てが始まり、海沿いを走っていた朝倉~日長から海が見られなくなった。

伊勢湾台風復旧工事
柴田~名和
1959(昭和34).11

天白川の南側は、伊勢湾台風1ヵ月半後もまだ水に浸かっていた。
電気設備も未復旧の状態で、ディーゼル機関車と貨車により復旧作業が行われた。
このディーゼル機関車は、米軍払い下げのDED8500形で、築港線から7・8・9号地へ延びていた貨物線で使用されていた。

常滑線60周年記念列車出発式
常滑駅
1973(昭和48).8.31

パノラマカー伏見口(現・明智)行き特急で常滑線60周年記念列車のテープカット。
常滑駅にパノラマカーが登場したのは、昭和42年4月から

河和線が分岐する太田川駅
2005(平成17).10

河和線の特急1000系パノラマスーパーが出発&到着した。前方右が常滑方面。
太田川駅は2011(平成23)年12月に3層構造の高架駅となった。

常滑駅
1972(昭和47)年3月

開業当時の面影を残す駅舎がまだ残っていた。
この当時、旅客用ホームは1線のみで、貨物ホームが3線あり、貨物主体の駅であった。

常滑駅
2002(平成14).1.19
(鵜飼功一氏撮影)

貨物輸送の廃止により、1982(昭和57)に貨物用地を使い、旅客ホーム3線の立派な駅となった。
空港線建設と常滑付近高架化のため、平成14年1月26日に営業休止し、平成15年10月4日から高架駅に生まれ変わった。

空港特急「ミュースカイ」
長浦~日長
2005(平成17).11

平成17年1月29日に空港線が開業し、中部国際空港のアクセス特急として2000系ミュースカイが運行を開始した。
当初は、写真のように3両組成であったが、名古屋駅~空港28分の速達性が人気を集め、平成18年に4両組成化された。

常滑線の歴史

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