応募要項

素敵なエピソードをご紹介します。

パノラマカー
愛知県名古屋市 西尾 栄一さん
父との別れ
岐阜県加茂郡 福井 みつよさん
寄り道駅
愛知県一宮市 森 みちるさん
名鉄電車と肩たたき
岐阜県各務原市 藤野 知美さん
金山駅、2両目の先頭ドア
愛知県名古屋市 真野 英敏さん
娘との仲直り
愛知県あま市 平山 嵩さん
19の友
愛知県名古屋市 近藤 貴博さん
素敵なグループ
岐阜県海津市 水谷 智子さん
赤い糸
岐阜県可児市 T.Yさん
赤い電車
愛知県刈谷市 松島 尚子さん

次回更新は12月中旬を予定しています。

愛知県名古屋市 西尾 栄一さん

 昭和51年の春、大阪の小学校から転校して間もなくのこと。名古屋の生活に馴染めず学校を休む日々が続いた。
 近くを流れる山崎川の堤防を歩いていると、見たことのない形状の電車が橋を渡っていった。「なんや、あの電車?」踏切近くまで走り、その電車の後ろ姿を追った。
 その日以来、その電車見たさに、どれだけ堤防に登ったか。「あれに乗りたい。」親にそう頼むと、「学校に行くなら乗せたる。」と。その電車に乗りたくて学校へ行くようになった。やめていた野球も、また始めた。
 大阪へ帰りたい気持ちをつなぎ止めたのは、パノラマカーだった。初めて乗った日のことは忘れられない。

岐阜県加茂郡 福井 みつよさん

 私が若かった時、仕事の休みに実家に帰ると、父は必ず名鉄新鵜沼駅まで車で送ってくれました。いつもはもったいなくて乗らない特急の座席指定券と切符も、知らないうちに買ってくれていて。もう自分で働いて給料もらっているから、と言っても毎回持たせてくれました。発車するまで父は改札で手を振ってくれます。私も一度は振り返しますが、発車して離れていく父の姿を見るのが辛く、すぐ横を向いていました。
 父が病で亡くなったあと、母から父が病床で「あいつは見送ってもすぐ横を向く」と言っていたことを聞かされました。違うと伝えたかった。寂しくて涙を見せたくなかったからだと。
 いつか私も父のところへ行った時には、好きだったコーヒーを二人で飲みながら伝えたいです。

愛知県一宮市 森 みちるさん

 育休明け。新しい上司と新しい仕事。いつも頭の中で「次は?次は?」とやらなくちゃいけないことに追われていた。足早に会社を出て、栄生駅に着き、「帰るよ」と非番の夫にメールを打った。今日は夕飯作らなくていいから、ちょっと楽。
 …しばらく何を考えていたんだろう。車窓から外を見るといつもと違う。そう気づいて飛び降りた駅は、小さくて周りは真っ暗。何となく笑いがこみ上げた。「あ~、最近、本読んでないなぁ」独り言をいいながら「ごめん、電車間違えた。折り返す。」とメール。
 どこで降りたか駅名も覚えてないし、どれだけ待ったかも覚えてない。けど、あの時間が、きっと私は欲しかったんだ。前後駅につくと、夫と息子が迎えてくれた。「おかえり~」「ママ、電車まちがえちゃったの?バカだな~」「ごめんね~」思いがけず、素敵な寄り道が楽しめた。

岐阜県各務原市 藤野 知美さん

 40年ほど前の思い出。「ともちゃん、お小遣いほしい?」祖母は肩たたきして欲しい時、そう言った。我家は名鉄揖斐線沿いにあり、折り返し駅のひとつ前になる近ノ島駅の踏切音が聞こえた。カンカンカンと聞こえてくる遮断機の音が、肩たたきスタートの合図。10分程で電車が折返してくるまでが肩たたきの時間だ。祖母の固くなった肩をカンカンとリズムよくたたく。我家の肩たたきはポンポンでなくカンカン。
 日により電車が戻って来る時間が長く感じる時は「今日の電車は折返しが遅いね。ばあちゃんよかったやん、大サービスやよ。」と、お互い笑いながら、電車が我家を通過するのを聞き耳たてて祖母の肩をたたいた。
 遮断機の音を聞くと、今でも時々、亡くなった祖母を思い出す。

愛知県名古屋市 真野 英敏さん

 40年ほど前、私は大学生になり、通学に名鉄電車を利用していました。名古屋から先頭車両に乗りこみ、金山駅に着くと、ホームに髪の長い女の子が立っていました。先日の入学説明会ですぐ近くにいた子です。彼女は2両目の先頭ドアから乗車しました。知立駅からは名鉄バス。バス停でドキドキしながら声をかけると、話が弾みバスでは隣同士!次の日からは私も2両目の先頭ドアに乗車し、二人で学校へ。
 学校ではクラスメートの手前、なかなか話ができません。いつしか朝の通学時間が、二人の大切な時間になっていきました。
 卒業、就職、そして結婚。電車の中で大切にしたいと思った二人の時間は、今もまだ続いています。私の心の中での妻はいつもホームに立つ髪の長い女の子のままです。

愛知県あま市 平山 嵩さん

 娘が3歳のころ、私は仕事が忙しく、娘とほぼ会わない、すれ違いの生活でした。娘はいつしか私を避けるようになり、このままではいけないと思い、一緒にパノラマスーパーの展望車に乗ることを計画。私が幼いころ、あまりの迫力に感動した記憶から、娘もきっと感動するだろうと思ったからです。
 実際には、娘ははしゃぐわけでもなく、反応が薄かったので、あまり楽しくなかったかな、と思いました。しかし、帰りの車内では笑顔が見ることができ、手をつないだり、一緒にお風呂にも入れたので、娘との距離が縮まったように感じました。
 「パノラマスーパーのおかげ」とは言い過ぎかもしれませんが、幼いころの感動が娘との仲直りを助けてくれたように思います。 

愛知県名古屋市 近藤 貴博さん

 1987年、師走はそこまで迫っていた。予備校生の僕は19歳。この先、果たして未来を掴むことが出来るのか、自信が持てない日々を過ごしていた。
 “新名古屋駅”午後7時過ぎの豊橋行き急行。学校帰りの高校生。仕事帰りのサラリーマン。色んな人間模様を乗せた電車の中では、いつも取り残されたような焦燥感があった。そんな時、安堵感をもたらしてくれるのは、同じ予備校に通う高校の同級生K君だった。流れ行く窓の向こうの景色に目をやりながら、たわいもない話をして帰ったよね。いつも、あの帰りのひと時はK君から安堵感をもらっていたよ。
 時の流れは早い。車窓に映る自分の姿にも白い髪が目立つようになってきた。あれからもう30年。K君、元気でやっているか?

岐阜県海津市 水谷 智子さん

 女子高の仲間を思い出す。神宮前駅。西日が残る16時半。岐阜へ帰る私と反対方向へ帰る友人達。線路をはさんで手をふりあう。
 先に乗り込むのが名残惜しい私は、彼女たちの列車が来るまでやり過ごした。1本、また1本と列車が出ていくのにホームに残る私のことを、友人達は不思議がる。ここまできたらとことん付き合おうじゃない。お互い、そう思っている。部活を終えた友達の友達が加わってにぎやかになっていく。赤い車輌がそれぞれのホームに滑り込んできてピタリと停まる。背中合わせになったドア越しに手をふりあう。「また明日。」私達の愉快な儀式。
 あれから30年、私達は妻になり母になった。今でも神宮前で停車するたび母校の制服を探して懐かしんでいる。

岐阜県可児市 T.Yさん

 高校一年生のとき、小さい頃よく行った豊橋の親戚の家へ挨拶に出かけた。そのとき偶然、よく遊んでいた近所の女の子と会った。久しぶりの再会に話がはずみ、その後連絡を取るうちに惹かれあい、付き合うようになった。
 僕は可児、彼女は豊橋で、高校生にとっては遠距離恋愛だ。会えるのは月2~3回の半日ほど。行きは待ち遠しく、帰りは寂しい気持ちで電車に乗っている時間が嫌いだった。
 そんなとき彼女が言った。「赤色の電車は赤い糸みたいだね。だから私は名鉄の赤色の電車が好き。」と。それから僕は電車で過ごす時間が好きになった。電車に乗ると彼女と繋がっているような気持ちになれて。
 大人になった今でも、赤い電車をみると思い出す。彼女との思い出を。

愛知県刈谷市 松島 尚子さん

 名鉄の駅近くに住む我が家にとって、名鉄電車は身近な乗り物でした。
 長男の一歳半検診の「認識テスト」に出かけた時のこと。保健婦さんが「茶色の犬」「青色の電車」「真っ赤なリンゴ」の描かれた紙を広げ「電車はどれかな?」と問うと、長男はじっと絵を見た後「ないっ。」と笑顔で答えました。犬もリンゴも分かっても「でんしゃ、ない。」と言いました。
 検診を終えて保健婦さんと三人で駅近くの保健センターを出ると、目の前を赤い名鉄電車が通り過ぎました。「でんしゃっ!」と指さす長男。そう、彼にとって電車は「青色の電車」ではなく「赤い電車」だったのです。「なるほど!」保健婦さんと私は納得し、笑顔で名鉄電車を見送りました。