応募要項

素敵なエピソードをご紹介します。

パノラマカー
愛知県名古屋市 西尾 栄一さん
父との別れ
岐阜県加茂郡 福井 みつよさん
寄り道駅
愛知県一宮市 森 みちるさん
名鉄電車と肩たたき
岐阜県各務原市 藤野 知美さん
金山駅、2両目の先頭ドア
愛知県名古屋市 真野 英敏さん
娘との仲直り
愛知県あま市 平山 嵩さん
19の友
愛知県名古屋市 近藤 貴博さん
素敵なグループ
岐阜県海津市 水谷 智子さん
赤い糸
岐阜県可児市 T.Yさん
赤い電車
愛知県刈谷市 松島 尚子さん
手と手を繋ぐ電車
愛知県北名古屋市 小澤 範晃さん
次の電車まで…
岐阜県各務原市 K.Nさん
そしてあなたと。
愛知県犬山市 板津 沙織さん
会いに行くね
愛知県名古屋市 古門 加奈さん
はじめての大冒険
愛知県名古屋市 長谷川 友美さん
恋人から家族へ
愛知県豊川市 安藤 直樹さん
ファンファーレにあと押しされた大学受験
愛知県春日井市 原科 佐登己さん
2桁歳へのワンステップ
岐阜県岐阜市 大矢たかこさん
生まれて初めて話した言葉は電車でした。
愛知県稲沢市 和井内 真百合さん
パパに会いに
愛知県瀬戸市 梅村 明美さん
静岡県浜松市 芥川 有紀子さん
娘心の謎
愛知県名古屋市 金子 勇さん
娘を見守って
愛知県江南市 I.Kさん
幸せな月曜日
愛知県安城市 O.Kさん
カツ弁当
岐阜県各務原市 大竹 美歌さん
父親と上京した日
岐阜県各務原市 岡田 新吾さん
満員電車
愛知県蒲郡市 廣濱 ひとみさん
青春の一ページ
愛知県豊川市 石黒 ゆみ子さん
出会い(僕から)
愛知県知多郡 田畑 大介さん
出会い(わたしから)
愛知県知多郡 田畑 有加里さん

愛知県名古屋市 西尾 栄一さん

 昭和51年の春、大阪の小学校から転校して間もなくのこと。名古屋の生活に馴染めず学校を休む日々が続いた。
 近くを流れる山崎川の堤防を歩いていると、見たことのない形状の電車が橋を渡っていった。「なんや、あの電車?」踏切近くまで走り、その電車の後ろ姿を追った。
 その日以来、その電車見たさに、どれだけ堤防に登ったか。「あれに乗りたい。」親にそう頼むと、「学校に行くなら乗せたる。」と。その電車に乗りたくて学校へ行くようになった。やめていた野球も、また始めた。
 大阪へ帰りたい気持ちをつなぎ止めたのは、パノラマカーだった。初めて乗った日のことは忘れられない。

岐阜県加茂郡 福井 みつよさん

 私が若かった時、仕事の休みに実家に帰ると、父は必ず名鉄新鵜沼駅まで車で送ってくれました。いつもはもったいなくて乗らない特急の座席指定券と切符も、知らないうちに買ってくれていて。もう自分で働いて給料もらっているから、と言っても毎回持たせてくれました。発車するまで父は改札で手を振ってくれます。私も一度は振り返しますが、発車して離れていく父の姿を見るのが辛く、すぐ横を向いていました。
 父が病で亡くなったあと、母から父が病床で「あいつは見送ってもすぐ横を向く」と言っていたことを聞かされました。違うと伝えたかった。寂しくて涙を見せたくなかったからだと。
 いつか私も父のところへ行った時には、好きだったコーヒーを二人で飲みながら伝えたいです。

愛知県一宮市 森 みちるさん

 育休明け。新しい上司と新しい仕事。いつも頭の中で「次は?次は?」とやらなくちゃいけないことに追われていた。足早に会社を出て、栄生駅に着き、「帰るよ」と非番の夫にメールを打った。今日は夕飯作らなくていいから、ちょっと楽。
 …しばらく何を考えていたんだろう。車窓から外を見るといつもと違う。そう気づいて飛び降りた駅は、小さくて周りは真っ暗。何となく笑いがこみ上げた。「あ~、最近、本読んでないなぁ」独り言をいいながら「ごめん、電車間違えた。折り返す。」とメール。
 どこで降りたか駅名も覚えてないし、どれだけ待ったかも覚えてない。けど、あの時間が、きっと私は欲しかったんだ。前後駅につくと、夫と息子が迎えてくれた。「おかえり~」「ママ、電車まちがえちゃったの?バカだな~」「ごめんね~」思いがけず、素敵な寄り道が楽しめた。

岐阜県各務原市 藤野 知美さん

 40年ほど前の思い出。「ともちゃん、お小遣いほしい?」祖母は肩たたきして欲しい時、そう言った。我家は名鉄揖斐線沿いにあり、折り返し駅のひとつ前になる近ノ島駅の踏切音が聞こえた。カンカンカンと聞こえてくる遮断機の音が、肩たたきスタートの合図。10分程で電車が折返してくるまでが肩たたきの時間だ。祖母の固くなった肩をカンカンとリズムよくたたく。我家の肩たたきはポンポンでなくカンカン。
 日により電車が戻って来る時間が長く感じる時は「今日の電車は折返しが遅いね。ばあちゃんよかったやん、大サービスやよ。」と、お互い笑いながら、電車が我家を通過するのを聞き耳たてて祖母の肩をたたいた。
 遮断機の音を聞くと、今でも時々、亡くなった祖母を思い出す。

愛知県名古屋市 真野 英敏さん

 40年ほど前、私は大学生になり、通学に名鉄電車を利用していました。名古屋から先頭車両に乗りこみ、金山駅に着くと、ホームに髪の長い女の子が立っていました。先日の入学説明会ですぐ近くにいた子です。彼女は2両目の先頭ドアから乗車しました。知立駅からは名鉄バス。バス停でドキドキしながら声をかけると、話が弾みバスでは隣同士!次の日からは私も2両目の先頭ドアに乗車し、二人で学校へ。
 学校ではクラスメートの手前、なかなか話ができません。いつしか朝の通学時間が、二人の大切な時間になっていきました。
 卒業、就職、そして結婚。電車の中で大切にしたいと思った二人の時間は、今もまだ続いています。私の心の中での妻はいつもホームに立つ髪の長い女の子のままです。

愛知県あま市 平山 嵩さん

 娘が3歳のころ、私は仕事が忙しく、娘とほぼ会わない、すれ違いの生活でした。娘はいつしか私を避けるようになり、このままではいけないと思い、一緒にパノラマスーパーの展望車に乗ることを計画。私が幼いころ、あまりの迫力に感動した記憶から、娘もきっと感動するだろうと思ったからです。
 実際には、娘ははしゃぐわけでもなく、反応が薄かったので、あまり楽しくなかったかな、と思いました。しかし、帰りの車内では笑顔が見ることができ、手をつないだり、一緒にお風呂にも入れたので、娘との距離が縮まったように感じました。
 「パノラマスーパーのおかげ」とは言い過ぎかもしれませんが、幼いころの感動が娘との仲直りを助けてくれたように思います。 

愛知県名古屋市 近藤 貴博さん

 1987年、師走はそこまで迫っていた。予備校生の僕は19歳。この先、果たして未来を掴むことが出来るのか、自信が持てない日々を過ごしていた。
 “新名古屋駅”午後7時過ぎの豊橋行き急行。学校帰りの高校生。仕事帰りのサラリーマン。色んな人間模様を乗せた電車の中では、いつも取り残されたような焦燥感があった。そんな時、安堵感をもたらしてくれるのは、同じ予備校に通う高校の同級生K君だった。流れ行く窓の向こうの景色に目をやりながら、たわいもない話をして帰ったよね。いつも、あの帰りのひと時はK君から安堵感をもらっていたよ。
 時の流れは早い。車窓に映る自分の姿にも白い髪が目立つようになってきた。あれからもう30年。K君、元気でやっているか?

岐阜県海津市 水谷 智子さん

 女子高の仲間を思い出す。神宮前駅。西日が残る16時半。岐阜へ帰る私と反対方向へ帰る友人達。線路をはさんで手をふりあう。
 先に乗り込むのが名残惜しい私は、彼女たちの列車が来るまでやり過ごした。1本、また1本と列車が出ていくのにホームに残る私のことを、友人達は不思議がる。ここまできたらとことん付き合おうじゃない。お互い、そう思っている。部活を終えた友達の友達が加わってにぎやかになっていく。赤い車輌がそれぞれのホームに滑り込んできてピタリと停まる。背中合わせになったドア越しに手をふりあう。「また明日。」私達の愉快な儀式。
 あれから30年、私達は妻になり母になった。今でも神宮前で停車するたび母校の制服を探して懐かしんでいる。

岐阜県可児市 T.Yさん

 高校一年生のとき、小さい頃よく行った豊橋の親戚の家へ挨拶に出かけた。そのとき偶然、よく遊んでいた近所の女の子と会った。久しぶりの再会に話がはずみ、その後連絡を取るうちに惹かれあい、付き合うようになった。
 僕は可児、彼女は豊橋で、高校生にとっては遠距離恋愛だ。会えるのは月2~3回の半日ほど。行きは待ち遠しく、帰りは寂しい気持ちで電車に乗っている時間が嫌いだった。
 そんなとき彼女が言った。「赤色の電車は赤い糸みたいだね。だから私は名鉄の赤色の電車が好き。」と。それから僕は電車で過ごす時間が好きになった。電車に乗ると彼女と繋がっているような気持ちになれて。
 大人になった今でも、赤い電車をみると思い出す。彼女との思い出を。

愛知県刈谷市 松島 尚子さん

 名鉄の駅近くに住む我が家にとって、名鉄電車は身近な乗り物でした。
 長男の一歳半検診の「認識テスト」に出かけた時のこと。保健婦さんが「茶色の犬」「青色の電車」「真っ赤なリンゴ」の描かれた紙を広げ「電車はどれかな?」と問うと、長男はじっと絵を見た後「ないっ。」と笑顔で答えました。犬もリンゴも分かっても「でんしゃ、ない。」と言いました。
 検診を終えて保健婦さんと三人で駅近くの保健センターを出ると、目の前を赤い名鉄電車が通り過ぎました。「でんしゃっ!」と指さす長男。そう、彼にとって電車は「青色の電車」ではなく「赤い電車」だったのです。「なるほど!」保健婦さんと私は納得し、笑顔で名鉄電車を見送りました。

愛知県北名古屋市 小澤 範晃さん

 9歳の夏、僕は初めて電車に乗った。行き先はおばあちゃんの家。電車を降りるとおばあちゃんが待ってくれていた。手を繋いで歩いたのも、この時が初めてだった。その手はしわくちゃだったけれど、優しくて温かかったのを覚えている。
 それから20年後、僕は結婚し、披露宴のお色直しでおばあちゃんと再び手を繋いで会場に入った。人生で2回目のおばあちゃんの手は、あの夏と変わらない、優しさに溢れていた。
 僕がおばあちゃんの手の温もりを感じる事ができたのは、僕とおばあちゃんを繋ぐあの電車があったおかげだ。おばあちゃんは今、病に伏せている。あの時のようにまた名鉄に乗って、今度は僕の手で優しく包んであげたい。

岐阜県各務原市 K.Nさん

 あれは17歳の頃、高校の同級生と付き合っていた時の話しです。部活が終わって、学校から一駅離れた公園で彼とお喋りするのが放課後の楽しみでした。
 彼はそこから電車で帰ります。私はそこから自転車で帰宅。踏み切りの音が鳴る度に「ああ、今日もお別れの時間か…」と寂しく思いました。でも、お互い顔を見合わせ、「やっぱり次の電車に乗る。もう少し話そう」「いいけど時間大丈夫?」毎日こんなやりとりを続けました。一緒に居られる事が嬉しくて。
 今でも踏み切りの音を聞くと、甘酸っぱい気持ちになります。一緒に何本も電車を見送った彼は、今では主人となり、あの頃の私達と同じ年頃の息子がいます。

愛知県犬山市 板津 沙織さん

 妊娠して初めて電車に乗ったとき、和服のご婦人が席を譲ってくれた。まだお腹にいたあなたに、「世の中は優しさいっぱいなんだよ。」とお腹をさするとポコンと返事をしてくれたね。
 その翌年、まだ歩けない小さなあなたを抱いて電車に乗ったときにも、若い女性が席を譲ってくれた。あなたは外の景色に夢中だったけれど、その女性はとても優しい目であなたを見ていたんだよ。
 4歳になったあなたは、またお腹が大きくなったママと電車に乗るのが大好き。休みの日はパパと電車を見に行くのが大好き。そして電車に乗った時には、小さな手をスッと出して「どうじょ」と席を譲れるあなた。人への優しさは、名鉄電車から教わったのかな?そんなあなたと、これからも電車に乗ってどこへいこうかな。

愛知県名古屋市 古門 加奈さん

 私は大切な人に会いに行くときには、必ず名鉄電車に乗っている。そして、そのときには毎回決まったやりとりがある。
 向かうときには、「そろそろ会いに行くね」「待ってるよ」電車に乗る前には、「今から電車のるよ」「気をつけてね」電車に揺られ、都会の喧噪を離れると駅に到着。「駅に着いたよ」「気をつけてね」駅からは、もう少し歩く。
 昔とは景色の変わった住宅街を抜けて家が見えてくると、そこには必ず笑顔で手をふる変わらない姿がある。私の大好きなおばあちゃんだ。足腰が悪くなってしまったけれど、いつも外に出て待っていてくれる。その姿を見ると自然と駆け足になる。おばあちゃん会いにきたよ。ずっとずっと、このやりとりを続けていきたい。

愛知県名古屋市 長谷川 友美さん

 夏が来るたびにふと思い出す、子どもの頃のエピソードがあります。20年ほど前、小学6年生の私は、社会の授業で学んだ国分寺が豊川市にあることを知り、夏休みに名鉄電車に乗って訪ねることにしました。携帯電話もない時代、小学3年生だった弟と一緒とはいえ、当時の私にとっては大冒険でした。
 大人になった今、覚えているのは、子どもの足で決して短くない国府駅からお寺までの道のりを、蝉の声を聴き、お茶で喉を潤しながら、ひたすら2人で歩いたこと。そして帰り道、弟と電車の座席に並び、車窓に流れる景色をただただ眺めたこと。
 夏の夕方のぬるい空気の中で、行きの景色と何か違って見えたのは、はじめての大冒険を経験し、少し大人に近づいたからだったのかもしれません。

愛知県豊川市 安藤 直樹さん

 愛知県豊川市にいた私と岐阜県羽島市にいた彼女は、平成24年の初夏に名古屋の資格学校で出会いました。同年冬に付き合い始めた私たちは、それぞれ名鉄に乗って名古屋駅に集合し、デートを繰り返していました。
 そして、それから4年後、めでたく結婚式を迎えることができた私たちは、当日の夕方2人で名鉄に乗って新しく住み始める街の豊橋へと向かいました。夫婦になったあの日にも、私たちは名鉄に乗って新たな一歩を踏み出したのです。
 私たちは今でも、お互いの実家へ行く時には名鉄に乗っています。そんな、名鉄にご縁の多い私たちは、この冬に新しい命を授かる予定です。これからは3人で名鉄に乗って、未来へと進んでいこうと思います。

愛知県春日井市 原科 佐登己さん

 はじめてパノラマ特急に乗ったのは、もう50年も昔のことになる。忘れもしない昭和44年3月、挫折を味わいつづけた大学受験で、最後の砦である国立二期校(当時)の受験のため名古屋から新岐阜まで向かった時であった。
 ホームに入り列の先頭で待つ僕が乗る電車のアナウンスが入り、活気あるファンファーレの響きとともに格調ある形をした力強い赤色の電車が僕の前に来た。一瞬の出来事であったが、受験に向かう僕の気持ちがゆさぶられ高まり引き締まった感じを覚えた。思えば、この時が僕の人生のスタートラインであったような。
 その後、縁あって教員として勤めさせていただき、平成21年3月、定年退職によって感無量のまま、あの時の赤い電車に乗って帰路についた。

岐阜県岐阜市 大矢たかこさん

 名鉄の思い出、それは今から40年ほど前の小学4年の夏、大好きな津島の伯母に会いたくなり、親には内緒でひとり旅に出たことです。
 尾西線に乗りかえるだけで、心はワクワクでいっぱい!各駅停車は子どもの私にとって、楽しいカウントダウン!覚えていた駅名順をクイズにしながら向かいました。「上丸渕」「丸渕」「渕高」これらの順、まちがえたなあ。無事に津島に着いたとき、迎えに来てくれた伯母が、私の成長を喜んでくれたことが今でも目に浮かびます。その後、親にこっぴどく叱られたのも懐かしい思い出。
 現在、愛着いっぱいの尾西線は主人の通勤の足となり、そのご縁で天王祭に再び訪れることもでき、電車旅を楽しんでいる今があります。

愛知県稲沢市 和井内 真百合さん

 我が家から少し歩くと名鉄の線路があり、当時1歳だった息子と一緒に、毎日のように赤い電車を見に行っていました。「電車きたね。」「電車行っちゃったね。」と、息子に話しかけると、キラキラした目で電車を追っていました。風景によく映える赤い電車は、息子の目にも魅力的に映っていたのでしょう。
 ある日、走ってきた電車を指差して、息子が「えいしゃ」と、言いました。「電車きたね」初めての会話でした。生まれて初めて話した言葉が「えいしゃ」。ママやパパではなく「えいしゃ」。笑っちゃいました。
 今年二十歳になる息子は今、東京の大学に通っています。帰省して赤い電車に乗ると、帰ってきたことを実感するそうです。

愛知県瀬戸市 梅村 明美さん

 娘が一歳半くらいのとき、散歩がてら時々、最寄りの駅まで、会社帰りの夫を迎えに行っていました。
 駅まで迎えに行くときは、夫には内緒。改札口を出て私たちを見たときの、夫の驚きを隠そうとする顔、照れくさそうな顔を見るのが、たまらなく嬉しかったからです。だいたい、いつも同じ時刻に帰ってきましたが、いつもより早ければ、夫に会えた嬉しさは倍に、遅ければ、待ち遠しさが募りました。
 仕事場が異動になってからは、夫を駅まで迎えに行くことはなくなりましたが、あのときの夕方の散歩、夫を改札口で見つけたときの喜び、数分でも早く夫に会えた嬉しさ、夫を愛しいと思えた自分の気持ちは、今でも鮮やかに思い返せます。3人に増えたこどもたちがもう少し大きくなったら、またみんなで散歩がてら夫を駅まで迎えに行くつもりです。

静岡県浜松市 芥川 有紀子さん

 ちょうど30年前の事。部活を終え、クタクタになって電車に乗り、自宅の最寄り駅“羽場”に着く頃には、雨がしっかりと降りだしていた。
 「傘ないし…。制服もかばんもびしゃびしゃだな…」なんて考えてホームに降りると、傘を持った母の姿があった。「ぴったりやら。あんたの乗ってくる電車は分かってる。羽場駅に何時何分に到着するかも分かる。家から駅までは歩いて7分」なぜか自信満々。満足気だった。軽くお礼を言って、二人で歩いて帰った。
 今思うと、本当にぴったりだったのかな。ずっと待っていたのではないか。忙しいのに、何度も家と駅を往復したのではないか。真実は未だに分からないが、もっとほめてあげれば良かったな。

愛知県名古屋市 金子 勇さん

 春から中学三年生になる娘と二人、犬山へ向かう電車の中から車窓に広がる美しい桜を眺めていた。ここ数年参加し続けている、明治村の明治探偵ゲームに参加するためだ。
 明治村では、二人して黙って考え込んだり、お互いの推理を話し合ったり、推理に行き詰った時は、美味しいカレーパンを食べたりと、楽しい時間を過ごした。
 今年は娘にとって高校受験の年で、次に桜が咲くころには、高校生になる。謎解きゲームの謎は、年を重ねるごとに解けるようになってきたが、年頃の娘心の謎は、年を重ねるごとにますます、父親には解けなくなっていくような気がする。帰りの電車でそんなことを感じ、窓の外の桜に「来年も娘と一緒にこの電車に乗れますように」と、そっと願を掛けた。

愛知県江南市 I.Kさん

 私は毎日、犬山線で最寄りの駅から名古屋駅経由で通勤しています。娘が名古屋市内の公立高校に通うこととなり、入学当初は、一緒に通勤・通学していたこともありました。
 しかし、1ヶ月もすると、娘は私と人前で会話することを嫌がり、同じ車両に乗ることも避けるようになりました。それは寂しくもありましたが、学校生活に馴染んできたということでもありました。そして、数ヶ月後には、お互い別々に通学・通勤するようになりました。それでも、偶然同じ車両になったりした時は嬉しかったです。
 そんな通勤・通学が3年間続き、娘は今年の春、無事に高校を卒業しました。今は一人で通勤です。

愛知県安城市 O.Kさん

 最寄駅から豊橋駅まで乗車し、大学へ通う2年生の私。豊橋駅から名古屋駅まで乗車し、大学へ通う4年生の彼氏。私が乗って来た電車に彼氏が乗って行く。
 『3両目の真ん中の扉』、そこが毎週月曜日の私たちの待ち合わせ場所。朝一番に顔を合わせ「おはよう!行ってらっしゃい!」と言葉を交わす数分間。このたった数分間が、私たちにとっては、大切で幸せな時間だった。
 しかし、そんな日々も残りわずか。彼氏が大学を卒業するからだ。残りの月曜日も、会えますように。幸せになれますように。
 ホームで会えなくなっても、豊橋駅まで会いに行くから改札口で待っていてね。私たちの幸せに関わる全ての人にありがとう。この幸せが、みなさんにも伝染しますように。

岐阜県各務原市 大竹 美歌さん

 私の母は、気が強く料理が大嫌いな人でした。高校に進学した時、文句を言いながらも初日に持たせてくれた弁当は、野菜の煮物一色に日の丸弁当。多感な時期の女子高生には耐えがたい弁当にケチをつけたら逆上され、以後3年間は自分で弁当を作る羽目に。
 高校卒業後は親元を離れて入寮し、看護学校で2年間学びました。忘れもしない昭和61年の春、国家試験を控えた前日、母から「明日の朝、新岐阜駅に弁当持ってくわ」と連絡がありました。ホームに降り立つと、名鉄電車と同じ真っ赤な弁当箱に入ったカツ弁当を笑顔で手渡してくれました。
 料理嫌いの母が早起きして願掛けで作ってくれたカツ弁当のおかげで、無事合格。あれから30年経った今でも、看護師を続けられています。天国のお母さん、ありがとう。

岐阜県各務原市 岡田 新吾さん

 わが家は、いつも父親不在の家庭だった。帰宅はいつも深夜。休日も一人で遊びに行ってしまうし、子どもの学校行事にも無関心の父親だった。
 そんな父親が、私が東京の大学へ進学を決めたときだけは、下宿先までついて来ると言い張った。赤飯を炊いて持参し、これからお世話になる大家さんや下宿の先輩方に配りたいというのがその理由だった。
 上京の朝、赤飯の入ったおひつを風呂敷で包み、私たちは東京を目指した。父と一緒に電車に乗ったのは、この日が初めてだった。普段会話のない父と私は、ただ黙って電車に揺られるしかなかった。
 その父はすでに逝き、記憶は薄れる一方だが、赤飯のおひつを大事そうに抱えながら車窓に目をやる、父親の穏やかな横顔だけは今でもはっきり憶えている。

愛知県蒲郡市 廣濱 ひとみさん

 あれは7年前、大きなお腹を抱え、もうすぐ産休に入る頃のこと。通勤のため名鉄に乗ると、その日はいつもに増して車内が混み合っていました。辛いなぁと思っていると、今どきの若い男性がこちらに近づいて来ました。え?私、何かした??すると、その人は私の前に座っていたおじさんに「この人、妊婦さんなんで席を変わってあげてくれませんか?」と、声をかけてくれたのでした。男性が下車しようとしている時にお礼を言うと、男性は満面の笑顔で「座れて良かったです!僕の姉にも赤ちゃんが産まれるんです!」と言って降りて行きました。
 あの時のことは、今でも名鉄に乗る度に思い出します。他にも色んな方に助けられ通った毎日!本当に感謝しています。ありがとうございました。

愛知県豊川市 石黒 ゆみ子さん

 職場の机がとなり、帰る方向も同じ、帰りの電車は、途中までいっしょ。そんな三才年上の人と、名鉄に乗りよく色々な所へ遊びに行っていました。あの頃は携帯電話がなく、その代わりは、駅にある伝言板でした。
 ある夏の日、伝言板に「おれは、おまえの特別救助隊になる。」と書かれていました。あとで聞くと「おまえは、おれがもらってやらないと、ずっと一人でいそうだから」と言われました。なんて失礼な人だと思ったけれど、そのさりげないやさしさ、相手を想う心の広さに、惹かれたのかもしれません。いっしょに電車に乗っている時は、幸せいっぱい。でも、駅が近づくと泣きそうになる。また明日会えるのに。
あれから35年。私たちは結婚し、今では孫といっしょに電車に会いに行っています。

愛知県知多郡 田畑 大介さん

 運命ってあるんだな…あれは18年前、名鉄に乗って面接に向かうときのこと。途中の駅から一人の女性が乗ってきた。車内はガラガラ、その女性は、最初は近くに座っていたが、私に気づくと隣の車両へ行ってしまった。
 「なんだよ」と思いながら面接会場へ。すると、さっきの女性が隣で面接。気まずさを感じながらも、知らないふりをして帰った。数日後アルバイト初日、なんとあの女性と同じ部署へ配属された。お互い電車での出来事は言わなかった。
 数年後、その女性は私の妻となる。なぜ車内で私から逃げたのかは、今でも教えてくれない。でも、もし面接に車で行っていたら、一本あとの電車に乗っていたら、この幸せな家庭はなかっただろう。名鉄が運んでくれたこの運命をずっと、ずっと守っていきたい。

愛知県知多郡 田畑 有加里さん

 短大生になり、アルバイトの面接に向かうため名鉄に乗ったときのこと。1つ前のアルバイトの面接に落ちた私は、自信をなくしていた。表情は大丈夫かな、ちゃんとお化粧出来ているかな。するとそこに同い年くらいの男の人が乗り合わせており、なんとなく車両を変えた。
 その時の男の人とは面接会場で再び出会い、その後、同じバイト先で働くことになった。そして、私は彼に惹かれていったのだった。
私たちの出会いはバイトではなく、名鉄だった。あの瞬間から18年、色々なこともあったけれど、私たちは家族となり幸せな毎日を過ごしている。
 最後に質問に答えます。あの時車両を変えたのは、あなたの一人電車で座っている姿が、かっこよくて恥ずかしかったからです。